友枝昭世の第13回厳島観月能「紅葉狩」の夜
能・発祥の地、新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を訪ねた
能・「融(とおる)」 六条河原院の縁の地を歩く 壱
京都、西本願寺で10月12日〜16日にかけて「大谷本廟 親鸞聖人750回大遠忌法要」にともない、通常は非公開である対面所・白書院(国宝)や虎渓の庭(特別名勝)など書院内部の拝観が許された。
書院入口
平成の大修復を終えた御影堂
わたしは、最後の16日午前9時から11時までの拝観時間に訪ねることができた。いつも京都にゆくとお願いしているMKタクシーの運転手さんが、教えてくれたのである。その日、わたしがお能の「融」所縁の源融の六条河原院の跡を見にゆくつもりだということを事前に伝えていたので、当日、国宝の能舞台が公開されていることを教えてくれた。 早速に、予定を変更し、まずは西本願寺へ向かうことになった。この3月31日に平成の大修復(平成11年から改修スタート)を完了した御影堂はいずれ寄ってみたいと思っていたので、良い機会と思い軽い気持ちで訪ねてみたのである。
ところが、二百三畳もあるとんでもなく絢爛豪華な対面所や三の間まである贅を尽くした白書院、御影堂の屋根を廬山に見立てた虎渓の庭などを見学し、その間に通る「対面所東狭屋の間」と呼ばれる細長い畳敷きの部屋の天井画の素晴らしさにも素直に驚愕した。「八方睨みの猫」も数多ある天井画の中から絵巻物の上にちょこんと坐る可愛らしい子猫を見つけ出して、はしたなくも「アソコにいた!」などとはしゃぎまわってしまう次第。何しろその桁はずれな豪華さに度肝を抜かれたというのが正直なところである。館内が撮影禁止であるため、写真でご紹介できぬのが残念であるが、次の公開の機会を、是非、見逃さずにトライされることを祈ります。
そして、書院の北側に出て、お目当ての北能舞台に対面したのである。入母屋造りの見事に簡素な舞台である。橋懸りの弓形にしなった欄干も珍しく、目を引いた。懸魚に天正九年(1581年)の銘があったとされ、わが国で最も古い能舞台として国宝に指定されているものである。 
北能舞台(国宝・西本願寺HPより)
南能舞台(重要文化財・西本願寺HPより)
そこは、これまでの金色に彩られた対面所や白書院とは正反対のあまりにも簡素で静寂なモノトーンの世界であった。わたしは一瞬、心が動じるとともに、なぜか厳粛な気分に陥っていったのである。 じっとそこにたたずみ、この舞台の上でかつて能が演じられたであろう情景を瞼に浮かべた。どこか森閑とした山深い神社にいるような気がしていた。それまでの「絢爛豪華の美」とこの「単純の美」の落差が、そうした厳粛な気分に一気にもってゆく効果を果たしているのかもしれない。 そしてこの光景と厳粛さをどこかで体験したことがあると感じた。(「国宝能舞台のデジタル復元とその応用」に北能舞台の考察が詳しい)
北能舞台の白州はこぶし大の丸石が敷き詰められていた。その異様な景色は、係員の説明では音響効果を高めるためではないかと言われているとのことであった。
出雲大社の八足門
出雲大社御本殿の千木
しかし、わたしはその時、すでにある酷似した光景と雰囲気を、目に浮かべ心に感じていた。それは数年前に出雲大社を詣でた際に、八足門から神域内に入り御本殿をじかに拝観させていただく(「お庭踏み」の)機会を得たが、その時に御本殿の周囲に丸石が敷き詰められていたのを思い出したのである。そして森閑とした清浄な雰囲気の中、お神酒をいただき自然と厳粛な気持ちになっていった、あの情景とよく似ていると感じたのである。 霊と現世の掛け合いを基本にする能の世界と、あの「お庭踏み」において感じた太古の霊の世界とが、どこかで相通じているような、そんな非日常の体験を味わった瞬間であった。
いまや広島のお土産と言えば「もみじ饅頭」というぐらいに全国的知名度の高い饅頭である。その表記も「もみじまんじゅう」、「もみじ饅頭」、「もみぢ饅頭」といろいろです。そこで、そもそもどこのお店が本物? 誰が発案したのと、紅葉は日本中にあるのになぜ、広島だけのお土産になっているの、で、一体、どこのがおいしいの?といった疑問を、これまで持ったことありません?
う〜ん、そんなのどうでもよい、興味ないという方は、この記事飛ばしてクダサ〜イ!今回の厳島観月能を観にゆくに際し、その疑問に少しでも答えるべく個人的ミッションを携え行って参りました。以下その調査並びに「おいしさ」結果につき、レポートさせていただきます。調査対象は、
「藤い屋」【廿日市市宮島町1129 電話:0829-44-2221】
【創業大正14年】
「岩村もみじ屋」【(有)岩村もみじ屋 廿日市市宮島町中江
電話:0829-44-0207】
【創業明治末期】
「高津堂」【廿日市市宮島口西2-6-25 電話:0829-56-0234】
【紅葉饅頭商標登録明治43年】
の三社三製品である。現在約200社を数えるというもみじ饅頭製造会社があるなかで、わずか三社における比較である。だから、他にこの方が一番という方がおられるのは当然であるが、私なりの選考基準で選んだ次第である。三社の選考理由は、下記に紹介する旅館「岩惣」お勧めの二品に、私がこだわった高津堂を加えた、いわば「もみじ饅頭」に所縁の深いお店のもみじ饅頭の食べ較べということにした次第である。
もみじ饅頭の誕生は宮島の老舗旅館「岩惣」のHP「150年の歴史」のなかの「もみじ谷と岩惣」第一章に以下の記載があるので、紹介する。
お茶菓子生まれる・明治39年(筆者注:西暦1906年)頃
当時の女将栄子は「なにかお客様に岩惣でしか味わえないお茶菓子をお出ししたい。」と、カステラ生地の中にこしあんを入れたまんじゅうを考案、高津堂の御主人に制作を依頼して「もみじまんじゅう」が誕生しました。時代を超え漫才ブームのネタにまでなり、国内外でご愛顧を頂けておりますことは、栄子も予想だにしなかったことと思います。
また、そこに名前が出てくる「高津堂」が長らく生産を止めていた「もみぢ饅頭」を、今年の7月から生産再開し、その説明書きに「もみぢ饅頭」誕生の話が詳しく記載されているので、以下それを引用させてもらう。
常助、紅葉谷入口で茶店を開く
高津常助は、明治19年5月10日生まれ。大阪で菓子職人となり、大阪名物岩おこし等の卸し商として宮島にやって来て、紅葉谷入口近くに茶店を開き、岩惣旅館へ茶菓子の納入を手がける。
道路は見物人でいっぱいだった
紅葉谷公園入り口に店舗を構え、製造販売した。間口の大きな店で、大きな木製横看板には、元祖もみぢ饅頭、高津堂と書かれていた。入ると二間幅の焼きかまど、横には道具掛や商品を並べる棚、包装台などあり、道路からも見え、焼き立てが買える魅力で大盛況だった。
焼形の型を考えては図面を持って何度となく大阪に出向く
「高津堂」の常助は、もみぢを形どったもみぢ饅頭を明治43年頃に完成。味は、小豆を大釜でたきジャッキで締めて濾(こ)した餡は甘さが口に残らないため、二つ目につい手が出るほど好評。饅頭は、経木に包み、上にラベルを貼った。ラベルには元祖「もみぢ饅頭」と墨書きのシンプルなもので、明治43年7月18日には、商標登録「紅葉形焼饅頭」を獲得。製造販売も軌道に乗り、職人養成にも力を注ぎ後、宮島菓子組合長をも務める。
伊藤博文のひとことから生まれたもみじ饅頭
博文公は、紅葉谷に遊ばれることがしばしばあった。或る日、茶店の可愛いい娘が、お茶を差出した手を見て「このもみぢのように可愛いい手を食べてみたい」と冗談を言うのをきいた「岩惣」の女将から、客に出す饅頭作りの依頼を受けた常助はもみぢの葉形をしたもみぢ饅頭を考案。
紅葉饅頭の元祖は高津常助
常助は、紅葉谷にある旅館「岩惣」の女将からもみぢを形どった饅頭作りの依頼を受け、菓子店「高津堂」が明治43年頃に完成。その後、岩惣とコンビで販売。常助が亡くなるとほぼ同時期に高津堂と、元祖もみぢ饅頭は一代で終わってしまった。
以上でわかるように、厳島の旅館「岩惣」へ菓子を納めていた高津堂の高津常助氏が現在の「もみじまんじゅう」の祖形となるものを製造したことがわかる。そして、岩惣の女将栄子さんが常助さんに企画を持ち込んだということになる。その契機は何と明治の元勲、伊藤博文であったという。
ところで、常助さんに紅葉饅頭のアイデアを持ちかけたのは、岩惣の仲居の「おまん」さんだという別伝もあるが、それが女将さんか仲居さんか、そんなことをいろいろと詮索するのも無粋であり、もみじ饅頭を愛する人、各人がその見ぬ女への想いを各々、巡らすのが一興というものであろう。わたし好みで言えば、「もみじのような小さな可愛いい手」の持ち主が、あの朱塗りの紅葉橋の上にたたずむ姿を思い描いて、パクリと「もみじまんじゅう」を口にするのがその甘みが倍加するように思うが、そこはみなさんのお好み次第。(生誕100周年もみじ饅頭誕生の歴史に高津堂の歴史が詳しい)
そこで「もみじまんじゅう」を今回は、3種類買い込んで食べ較べをして見た。「にしき堂」のもみじまんじゅうは、これまで、いやと言うほど土産で食べさせられており(生地がパサパサしていて、私は好きではない)、食傷気味なので今回は比較からはずすことにした。
まず本家本元の高津堂は、実は1960年後半に宮島から現在の宮島口へ海を渡り、お店も酒類販売業に業種転換をしていた。常助氏の孫の加藤宏明さんがこの7月に、まさに元祖「紅葉形焼饅頭」を復刻した。まるで、わたしの「厳島もみじまんじゅう探行」を待っていたかのようにである。お店を探して行かずにいられない。何か本当に運命的なものを感じたのである(かなり、大仰!!)。
お店はJR宮島口の西側、線路を北へ越えた細い道路が二股に分かれる場所に「多加津堂」という名で、酒類販売業を営んでいる。そのお店前の小道を挟んだ所のプレハブ造りの小屋で二人の職人さんが、一生懸命に饅頭を焼いていた。生地と餡は宏明氏のご子息、現在、広島市の和菓子店で働く加藤友和さんが用意しているという。
高津堂の味は、いま、私たちがもみじまんじゅうと考えるものとは少々、異なり、もち米を使ったモチモチ感があり、食感はどちらかというと京菓子の「阿闍梨餅」に似ている。餡も常助氏の時代と異なり、いまはつぶ餡のみを販売している。そして常助氏のときの紅葉饅頭はもみじ形の中に鹿が二頭描かれていたが、現在の包装袋に往時の絵柄を残すのみである。
まだ、復刻3ヶ月目の製品であったので、これから常助氏の幻の味へとますます洗練化されてゆくものと思われる。東京へ戻って、食べ較べをした20代の若い人はこの高津堂が一番おいしいと感想を述べた。
高津堂もみぢ饅頭
葉が七つ折りで葉柄がはっきりしている(原型に近い)
二社のもみじ饅頭と比べ生地が薄いのが特徴・つぶ餡
私は「岩惣」がお土産として現在、提供している「藤い屋」が、カステラ生地のしっとり感、藤色のこし餡の上品な味わいが格別で、好みに合った
藤い屋の上品な包装
藤色のこし餡が上品
家内は「岩村もみじ屋」のつぶ餡、「藤い屋」のこし餡、どちらにもそれぞれ上品でそれぞれの味わいがあり、軍配団扇をあげた。
また「岩村もみじ屋」を食べた人は、つぶ餡のもみじまんじゅうは初めてだと、「おいしい」と語っていた。。(「岩村もみじ屋」は岩惣に頼むと翌日に旅館に届けてもらえる。岩惣の披露宴などでは「岩村もみじ屋」を用意する人も多いそうだ)
岩村もみじ屋
岩村のつぶ餡も上品で美味しい
それほど、年齢、好み、その日の体調などで、もちろん評価は異なって当然である。実際に皆さんがご自身で宮島を訪ね、そこで焼きたての「もみじまんじゅう」を食して、そのおいしさに覚醒していただけたらと、切に願うものである。
たかが土産のもみじまんじゅうと、言うなかれ。斯様に「もみじまんじゅう」には何とも100年前の浪漫の馨りがただよってくるではないか。そして、今回、食べ較べをした結果、誰が何と言おうと、私は、「もみじまんじゅう」は宮島の「銘菓」であると呼ぶことに決めたのである。B&Bの島田洋七ではないが、私は、世界の中心で「もみじまんじゅう〜!!」と、叫びたいのである。
それから、ここで「岩村もみじ屋」を紹介したが、宮島口フェリー乗り場にある「岩むら」は「(株)みせん本舗」という別の会社であり(ここのも一つ食したが、若者向きで、まずくはないですよ)、まぁ、いろいろ、種類があるので、あなた好みのもみじ饅頭という「銘菓」を探し出して欲しいと、衷心より願い奉る次第である。
初春の厳島神社
泊ってみたい宿、宮島・「岩惣(いわそう)」
能・発祥の地、新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を訪ねた
国宝の北能舞台(西本願寺)を拝観しました!
能・「融(とおる)」 六条河原院の縁の地を歩く 壱
中天の満月に水上能「融」を愉しむ=パルテノン多摩
10月14日、喜多流能楽師で人間国宝である友枝昭世氏の厳島観月能を観た。午後6時開場、6時半の開演であった。一年半前に厳島神社を初めて訪ね、大鳥居を遠望し、廻廊を巡った。しかしそこは一見さん、この厳島神社はいつでも海上に浮かんでいるわけでなく、われわれ家族が行った正午直後は引き潮の時間帯であり、厳島の大伽藍は海草のだらしなくへばりつく無惨な砂浜に立っていた。もちろん、あのあまりにも有名な海中にあるはずの朱塗りの大鳥居も重石が剥き出しになっていた。
廻廊の下にひたひたと打ち寄せる波の音とは、いかなかったのである。神社の詳しいことは、開場前に厳島神社の権禰宜の方に社内を特別にご案内いただいたので、その話は別途することにしたい。
重石が見える干潮時(2008.3)
干潮時には白州は本物の白い砂(2008.3)
さて、当日の夕刻の開演前には汐はすでに神社の奥深くまで満ちていた。重要文化財に指定されている切妻造りの能舞台(1680年、第4代広島藩主浅野綱長造立)も、腰板の裾を瀬戸内の青海波に洗わせていた。幅4m、長さ275mの朱塗りの廻廊をめぐらす厳島神社はまさに海上に浮かぶ壮大かつ幻想的な劇場と化していたのである。
檜皮で葺かれた古寂びた能舞台の前方には、廻廊の外側に三列ほど張り出して仮の「見所(けんしょ)」が設けられていた。その直ぐ後ろの廻廊内にもほぼ一杯となる椅子席(緊急用の通路分は空けていた)が設えられていた。われわれの座席は仮設の「見所」の最前列にあったが、鏡板を真正面にというわけにいかず、脇柱が少々邪魔になる右よりの場所にあった。平清盛ならぬ芸州浅野のお殿様がご覧になったであろう席より微妙に四、五人ほど脇にずれていた。まぁ、贅沢は言えぬ、新参者なのだから・・・。
昼間の激しい一時の雨も開演前には上がり、ちょっと肌寒い気温ではあったが、観劇に支障はなかった(但し、ホカホカ懐炉がパンフレットと共に配布されていたので、使用する方がよい)。午後6時半、すでにあたりは暗がりとなり、月の上がる東の空には雲がかかっていた。観月はどうも難しそうな気配であったが、上空にはじっと動かぬ北極星が輝き、観月ならぬ、観星能は期待できた。
夕刻前は舞台上まで1/3ほどの潮位であったが、開演の時分には満ち潮が進み、腰板の半分ほどの高さまで波打つようになった。舞台を照らす照明の光が白洲のさざなみに乱反射し、照り返しが能舞台の天井や鏡板、目付柱さらには能楽師に陽炎のように映じる。 鬼女が討ち取られ、舞いが終わった瞬間、一転して神の静謐があたり一帯を支配した。 幽玄の世界にゆったりと身も心をゆだねていたわたしはしばらく腰を上げることもなく、夜空を仰ぎ、海面に目を凝らし、沖合いにくっきりと浮かぶ朱塗りの大鳥居に目を転じた。すると、あの鬼女が海上を突っ走り、暗闇に乗じて戸隠山の岩屋を目指し逃げ去るのがこの目に映じた。それは幻などではなかった。確かにはっきりと見えたのである。
廻廊まで満員の見所
廻廊外に張り出した手前三列が坐り席
海面に映る能舞台と照明の光が天井に照り映える
その様は、秋の陽光を浴びた「もみぢ葉」が光芒と陰翳で織りなす「移ろい」の叙情を演出するかのようで、幻燈機の小世界が海の上で蜃気楼のように揺らいで見えた。
上ろうたちの紅葉狩り
シテ友枝昭世・ワキ森常好
平維茂が馬を下りて通りかかる
人間国宝のシテ・友枝昭世氏演じる上臈(戸隠山鬼神)が海原にぼんやり浮かぶ舞台上で序の舞を踊る姿は気品に満ち、中の舞に転じる頃には妖しげな艶やかさがただよう。そして鬼女に変じてから森常好演ずる平維茂と絡む「急の舞」は、まさに息をもつかせぬものである。
鬼に変じた急之舞
鬼女に変身
平維茂が鬼女を成敗
その転々変化の舞踊と巧みに絡み交錯する、笛の掠れた高い音色と小鼓や大鼓の乾いた音が、弥山(みせん)降ろしの清冽の大気をおごそかに揺るがせ海上を越えてとどいてくる。
家内の「寒くない?」の言葉で我に返り、紅葉谷に位置する今宵の宿「岩惣」の遅い晩餐へと想いは一挙に現実へと引き戻されて行った。
10月18日放送のフジテレビ「新報道2001」の「今週の調査(10.15調査)」で「あなたは来年夏の参院選でどの党の候補に投票したいですか」の質問の結果が、民主党38.8%(10/8調査39.6%・10/1 38.8%)、自民党9.2%(同13.2%・14,2%)となり、とうとう自民党が10%台を切った。
わずか二週間の短い期間の動きではあるが、9月16日の民主党政権発足後から1ヶ月後の数字の変動である。民主党はほぼ数字は横這いといってよい。それに対し自民党の数字の急落ぶりが目立つのである。
原因のひとつは党再生をかけた自民党総裁選にある。自民党は選挙前の300議席から119議席(▲181)へと大幅に議席数を減らした。自民党はその歴史的大敗北の原因を分析し、敗北に至ったこれまでの政治手法の総括をおこなうべきであった。そのうえで、解党的出直しを図るべく、一時の浮ついた人気などに惑わされることなく、強いリーダーの下で再生を期すのが当然の道筋であるとわたしは期待していた。おそらく大方の国民がそう思っていたのではなかろうか。
しかし、総裁選には谷垣禎一・河野太郎・西村康稔の三衆議院議員が立候補した。その顔ぶれに国民は自民党の解党的出直しの決死の覚悟を読み取ることはできなかった。相変わらずの党内力学、自身の損得に右顧左眄し立候補を見送った議員がいるとしか考えられない。これまでいつも自民党は言っていたのではないのか。「党内には人材がたくさんいる」のだと。
然るにこの顔ぶれであった。従来の自民党の殻を打ち破る気魄を、申し訳ないが、この三候補に感じることはできなかった。このことで、国民の自民党に対する期待は地に落ちたと言わざるを得ず、そうした思いが冒頭の数字につながっているのだと推測される。
その一方で、次の理由こそが実は小沢一郎民主党幹事長がいま、最もほくそ笑んでる事象なのではないかと考えるのである。
連立を組んだ社民党の福島瑞穂消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画担当大臣と国民新党の郵政改革・金融担当大臣の自儘とも言える閣僚としての発言である。
先の第45回総選挙における各党別の得票率は次の通りである(得票率は各党別の小選挙区と比例代表の獲得得票数の合計を、全党会派等の総得票の合計数で除したものである)。民主党44.9%・自民党32.7%・社民党3.1%・国民新党1.4%となっている。
議席数よりもより民意に近い数字と言ってもよい得票率で、3.1%の社民党と1.4%の国民新党の党首が発言を繰り返すたびに、国民の気持ちが早く次の参議院選挙で、民主党に過半数を取らせねばならぬとの思いを強くして行っているという事実である。
とりわけ社民党の福島大臣が連立合意書で日米地位協定の改定提起を明記したことで、国の安全保障という国政の要諦に関わる問題について教条主義的な発言を繰り返すことが、あの大臣就任の時の異様なハシャギぶりの様子とダブってしまい、どうにもちょっとご自分の立ち位置、立場がよくお分かりなっていないのではないかと思ってしまうのである。
理屈から言えば、まぁ連立合意書においてサインしたのだから、社民党の党是に触れる問題について反駁なり意見を言うことはある意味、当然な部分もあるにはあるのだが、改定提起の詳細は「米軍基地問題について沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定する」と、明記されているのであって、合意しているのは基地問題においてのみである。それ以外は連立の中で協議することになるというのがわたしの理解である。
ところが、福島大臣のこれまでの安全保障に関する発言は、協議の前に社民党の党是を主張しており、内閣を構成する大臣の発言としては、まだはっきりと合意もされていないことを勝手に言っている、堅苦しく言えば閣内不一致以前の、閣外勝手発言を放置するようなおかしなことになっているのである。
そのおかしな状況に、どうもついてゆけず、社民党の有する参議院5議席の重みを早いところ解消せねば、国政の要諦において、民意3.1%の党に鼻づらを引きずり回されるという滑稽な政治状況が続いてしまうという強迫観念が、日に日に強まっているというのが、今の国民の偽らざる心境なのではなかろうか。
その結果、次の参議院選挙にはどうしても民主党に過半数を与えねば、本来の民意を反映した政治が行なわれないと、次回参議院選挙は民主党の候補へ、逆に自民党の候補への投票は控えようと考える人々が多くなっているのではないのかと思えて来たのである。
だから小沢一郎幹事長は、福島瑞穂大臣にはもっとはしゃいでもらって、民主党躍進の推進役になって欲しいぐらいのことを、本気で思っているのではないのだろうかと邪推もしたくなったというわけである。
健全な二大政党政治を確立するには自民党の再生が通常の有り様であると考える。しかし、この3.1%の党首の発言によって、そのシナリオがどんどん遠のいて行くようで、このフジテレビ「新報道2001」の世論調査の数字の傾向には、正直、「参ったな!」と、感じた次第なのである。
もう2年8か月前になるが、JR福知山線脱線事故の航空・鉄道事故調査委員会は、遺族・被害者3名を含む13名を公述人とした意見聴取会(2007.2.1)を開催した。その中で公述人たる丸尾和明JR西日本副社長(当時)を初めとする経営陣の発言等を知り、「107人の命を奪ったJR西日本の原罪意識を問う!」(2007.2.21付)を記述した。そのなかで「JR西日本という企業は『自分が加害者である』という重大な原罪意識に欠けているのではないか」と企業体質を厳しく糾弾した。
JR西日本は線区福知山線塚口駅―尼崎駅間において、2005年4月25日午前9時18分頃、塚口駅を通過した直後の半径304mの右曲線を走行中に脱線、死者107名、負傷者562名という未曽有の大惨事を引き起こした。
そうした大惨事であるにもかかわらず、事故原因の究明、事故に遭われた被害者のご遺族や当事者の方々への謝罪姿勢や補償問題等で、罪の重さを衷心から反省し、悔いているのか甚だ疑問に思うと、ブログのなかで同社の姿勢と企業体質を厳しく批判したのである。その批判こそ、現在、事前の働きかけ等で問題となっている公述人による意見聴取会の様子が伝えられたからのことである。その閉会後に被害者や遺族の方たちは、公述人たる丸尾副社長(2008年7月日本旅行社長就任)の意見陳述に対し、「企業防衛や自らの保身に終始した公述だ」と批判したことに如実に表れているが、JR西日本の大量交通機関としての使命感と責任に重大な欠陥があると強い憤りを覚えたのである。
ここ連日、発覚しているJR西日本の山崎正夫前社長等による航空・鉄道事故調査委員会への情報漏洩・接待などの働きかけや兵庫県警や大阪地検による事情聴取社員への事前資料配布等の画策は、どう言い訳しようが、107名の尊い命を奪ったJR西日本という鉄道会社は事故直後からこれまで一貫して、旅客の命の重さより企業防衛に全力を挙げて来たと断ずるしかない。
そして事故調査委員会側にも、事故当事者との公式の場以外での接触・情報漏洩など看過できぬ重大な不始末がある。それも旧国鉄時代に同僚であった人物たちが、加害者と、その事故原因の究明に当たる委員側にも入っているという考えられぬ委員構成であった事実もJRの監督官庁であり、委員会の当局でもある国土交通省の責任もきわめて大きく、なぜ、そうした人事を行なったかも今後、詳しく究明していかねばならない。
17日に兵庫県伊丹市で開かれた「おわびの会」で、佐々木隆之社長は「調査報告書に対する思いを裏切り、深く反省しています」と遺族らに謝罪したが、事故後に次々発覚する一連の画策の動きを見ると、とてもではないが言葉通りに受け取ることはできない。
会場で「誠心誠意と言いながら、裏切るようなことをしていた」、「JR西は組織と人の命のどちらが大事なのか」と被害者が激しい口調で詰め寄ったと言うが、関係者の怒りは想像を絶するものがあるに違いない。事故発生からすでに4年6か月が経過しているのである。
JR西日本が掲げる「企業理念」には六項目ある。その第一項には「私たちは、お客様のかけがえのない尊い命をお預かりしている責任を自覚し、安全第一を積み重ね、お客様から安心、信頼していただける鉄道を築きあげます」とある。
また、第六項には「私たちは、法令の精神に則り、誠実かつ公正に行動するとともに、企業倫理の向上に努めることにより、地域、社会から信頼される企業となることを目指します」とある。企業理念はその企業の存在使命と価値を社会に対し約束するものである。その約束の少なくとも1/3は見事に反故にされたと言ってよい。
そして、福知山線事故を踏まえて作成された5項目からなる「安全憲章」の前書きにある「お客様のかけがえのない尊い命をお預かりしている責任を自覚し、安全の確保こそ最大の使命であるとの決意」がまったく白々しい嘘八百であり、急場をしのぐお題目を経営陣が先頭になって作成させたものであると、断罪できる。場合によっては自己の「地位保全」のために、敢えて心にもない文章を作らせたのかもしれぬと、邪推したくなる。それほどに、このJR西日本の事故後の対応は、大量の命を預かる大量輸送機関としての企業適性が欠如していると判断せざるを得ない状況なのである。
企業理念、安全憲章からすれば、当然のことであるが、なぜあのような大惨事を引き起こしたのか、技術的問題、企業体質の問題、組織の問題等、洗いざらい、真摯に見直しを行ない、その原因をなんとか究明し、今後の対応策と併せて、社会に対し公にすることで、今後の事故防止につなげることになるのではないのか。それでこそ、公共機関としての義務を果たすことになるのではなかったのかと、思うのである。
にも拘らず、今回、航空・鉄道事故調査委員会(後藤昇弘委員長)が公表した最終報告書(2007.6.28)の中立性に重大な疑念が生じたことになる。
前原国土交通大臣は9月28日に佐々木社長を呼び「前原国交相は佐々木社長に対し「今回の情報漏えいは、被害者の方々や国民への背信行為で言語道断。重く受け止めてもらい、再発防止に努めてもらいたい」と要請した。
事故後の同社の対応は107名にもおよぶ人命を一度ならず、二度奪ったのだと言ってもよく、私は、命を命とも思わぬこのJR西日本という企業の今後の対応に、厳しい監視の目と猜疑心の視線を注ぎ続けねばならぬと、強く思った次第である。
長野県茅野市米沢7682
TEL 0266-73-5455 FAX 73-5286
営業時間 11:00〜23:00 定休日(水)
改装工事を終えた三駒(みつこま)を本当に久しぶりに訪れた。ビーナスライン沿いのあの強烈なオレンジ屋根のお店である。
最近は八ヶ岳農園で新鮮な野菜を購入するため、小淵沢ICを利用することがほとんどで、ビーナスラインには芹ヶ沢交差点から入る。そのため、その下(茅野市街方向)に位置する三駒の脇を通ることが少なくなった。
20年以上前の昔はビーナスライン沿いの蕎麦店も少なく、チェーン展開する「そば蔵」や「三駒」と「そば庄」、そして当時新しいところで「登美」ぐらいが目立った蕎麦店であった。まだ競争が激しくなかった頃である。そんな時代からこの三駒はオレンジ色のトタン屋根で頑張っていた。
三駒は玄そばと信州ほうとうで有名であるが、鉄板焼きなども楽しめるお店でもあり、今どきの「蕎麦」専心を謳い文句にする蕎麦屋とは明らかに一線を画している。お店のコンセプトは昔から変わっていないのだと、久しぶりの往訪でも感じたものである。
玄関を入ると大きな囲炉裏の間があるが(改装で大きくなったような気がするが)、その囲炉裏を囲む団欒が醸し出す肩の凝らない、暖かなおもてなしのお店である。昔もそう感じたが、今回も同様の思いを持った。素敵に歳を重ねるお店である。
さらにこの店の良い点は、お客によって「ほうとう」や「鉄板焼き」や「玄そば」といった、それぞれの贔屓があることである。殊更に蘊蓄(うんちく)をひけらかすそば屋が増えた昨今、肩も凝らず、庶民的で、多様な使い方のできる「三駒」は逆に貴重な存在となったと言える。
今回は生後3ヶ月半の赤ん坊も一緒であったので、広い畳みにゆっくりゴロンとさせられ、大助かりであった。さらに改装後だと思うが、ドア付きの2畳の畳間(絨毯敷き・遊具有り)が授乳室となっており、乳幼児の授乳やオシメ替えが可能で、幼子を抱えた若い家族連れにはもってこいのお店である。こうした心遣いにも今回は本当に感心させられた。
最後になったが、味の方だが、わたしは精製しきっていないそばの実を石臼で碾き粉(ひきこ)にした素朴な味の「玄そば」(くろそば)が大好きである。そして以前より麺が太くなったのも、また喉越しの旨味を引き出してくれるようでわたしには好評であった。
前政権党の自民党の組んだ2009年度補正予算の切り込みが、まさにいま胸突き八丁のところにある。この6日、政府はその削減額の一次集計数字を公表した。補正予算総額14兆6630億円に対し、執行停止がかけられたのは2兆5169億円であった。17.2%の切り込みである。これまでの政治手法、利権構造からすると、各省庁が分捕った予算を返上することなど考えられないことであった。その意味でも無駄をなくす政治の大きな第一歩が踏み出されたのだと、政権交代の意義を実感する。
この一次集計の削減率17.2%という数字は、これまでの自民党政治を前提とすれば、とてつもなく大きいものだと言えるが、民主党のいう新規政策の財源目標である3兆円にはまだ足りない数字であることも明らかである。
再度の積み上げに必死に努める国政の大きな変革の動きを好感する一方で、正直者が損をする社会にしてはならぬというそんな事例を目にしたので、ここに怒りとともに告発することとする。
それは中央の補助金行政にタカル、これまでの意識を変えられぬ地方自治体の実態である。国の財政危機の実情を知りながら、相変わらず土建国家の利権構造にどっぷりとつかり、箱もの行政を姑息に遂行する地方自治体が今なお存在することである。無駄をなくす政治の貫徹には、ひとつひとつの地方自治体もこれまでの意識を根本から変えてゆかねばならぬことは言うまでもない。
しかし、ここに紹介する事例はその真逆の行政行為であり、地方議会の実態である。
日野市の広報「ひの」(10/1付)の一面に「平成23年度完成に向けて(仮称)市民の森ふれあいホールの建設に着手」というヘッドラインで、建設費約25億円の箱もの着工が謳われている。そのなかで建設費「約25億円」の調達について「国や都などの補助金約12億円、基金(預金)約3億円、起債その他約10億円」と記載されている。国が補助金削減に躍起になっている最中の出来事である。
この箱ものは平成20年12月に「昨今の経済不況の影響から、法人市民税等の減収が見込まれるため、20年度に予定していた建設工事発注を取りやめ、休止を決定」と建設休止宣言が行なわれていた事案であった。それを市の行政側は「市税収の落ち込みは変わらず、補助金の見通しは未だはっきりせず、景気動向についても厳しいまま」と財政窮乏の現状を語りながらも、「今建設を始めなければ、補助金をもらえなくなる」と答弁し、議会最終日の9月28日に建設着工を与党賛成多数で可決したという。それも議案上程期限直前に市長が突然に提案、わずか数時間の議論がなされただけである。(「」内の引用等は大高哲史日野市議会議員の市政報告冊子No178より参照)。
この「今建設を始めなければ、補助金をもらえなくなる」という行政側の答弁にこそ、そして強行採決にも似た議会運営で可決した「箱もの行政」にこそ、今の日本の地方自治体の実態が表れていると言える。地方自治体すなわち、地方議会・与党議員の意識改革は、国政が大きな変革の波の中にあるというのに、なんら旧来の意識を変えようとしていない、そう思えるのである。もちろん、変革を標榜する首長を戴く自治体が職員の意識変革をはじめ、「チェンジ」に苦闘している事実はあるが、大概の地方自治体は依然、旧来の思考回路にあるのではないかと、日野市の事例を見て思わざるを得ない。
そしてこうした無駄な公共事業が監視の目をかいくぐり強行される一方で、削られた予算の中に、国民の命にかかわるものも含まれていることを知ると、正直者が損をするというか、公平な社会に早くしなければならぬという思いを強くしたのである。
例えば優先すべき公共事業とは、9日に執行停止された阪和自動車道御坊IC―南紀田辺IC間(27キロ)の4車線化である。現在、この御坊―南紀田辺間は上下2車線での暫定供用で、対面通行の中央線上にはポールが立つだけで、正面衝突など3件の死亡事故が発生しているという。補正予算規模は745億円と先の日野市の25億円とは大きく隔たりのある大規模工事であるが、本当に必要な公共工事はもちろんのことだが、今後も実施すべきであることは言を俟たない。
だからこそ、この4車線事業化の執行が停止された田辺市(和歌山県)がある一方で、姑息に「補助金」目当てに不要不急の箱もの建設を急いだ日野市のような地方政治がいまだ跋扈していることが許せぬのである。
国政を変革するには、まず、国民自身が日々の生活を営む社会基盤である共同体の政治を変えなければならぬ。それがなくて、「地方分権」などという大層な歴史的大事業の成就などとても覚束ない。その意味で地方選挙への国民の投票行動、投票率の低さは問題と言わざるを得ない。まず、投票所へ足を運び、地方自治の主権者たる自分の意見を投票という行為で表すことが、この国を本当に変革してゆく大事な一歩であり、地に足の着いた「チェンジ」への一歩なのだとわれわれ自身が再度、自覚する必要がある。革命は「地方」から「中央」へ。これは、これまでのわが国の、いや世界の歴史が示してきたことである。
蓼科に春の訪れ=滝の湯で渓谷の初春を満喫(2009.5.6)
澄み切った秋気に八ヶ岳の稜線がクッキリ
蓼科の秋は足早にやって来る。すこしのんびりした夏の落し物を追い越してやって来る。
路傍の秋桜
夏の落し物、野苺
高原では秋の草々が思い思いに季節の移ろいを演じてみせる。
車山肩の秋草の饗宴
田園に夕暮れの翳が
田園では秋の実りの稲穂がタテシナを金色に染め変えてゆく。
金色に染めあげられた田園
その金色の稲穂の海原にこの日、夕日が射した。
金色の波をまばゆい夕日の光彩がこれでもかと照らし出す。
夕暮れが近づくと光の妖精たちも、ひとり、またひとり、姿を消してゆく・・・
蓼科に秋の宵闇が迫って来る。八ヶ岳からの秋風だろう、肌寒さという薄いヴェールがあっという間に全身にまとわりついてくる。
さあ、早く、立ち去ろう。秋の闇にのみ込まれぬうちに・・・
あたたかいスープの待つ、わが家へと・・・・・
長野県上田市別所温泉1666
別所温泉「花屋」へ行ってきました(^∀^)
信州の鎌倉 その1=塩田平
信州の鎌倉 その3=安楽寺
今回が初めてのお参りとなった北向観音は、信州の鎌倉といわれる別所温泉の中央、宿泊した旅館「花屋」から約300mほど、歩いて数分の所にあった。長野市の善光寺には以前、二度、足を運んだが、北向観音が善光寺と一対となる厄除け観音であり、片方だけお参りするのでは「片詣り」となり、来世のご利益をもたらす善光寺と現世のご利益をもたらす北向観音の両方をお参りするのがよいとされる。そのことをこれまで浅学にしてわたしは知らなかった。
北向観音堂正面階段
観音堂
観音堂内
堂内に飾られた江戸時代の絵馬
行って見てびっくりとはこのことで、創建は825年と古く、善光寺と相対面するように北面して建てられた大きな観音堂で、正式名が北向山常楽寺といい、別名「裏善光寺」とも呼ばれている。
そしてお堂のすぐ西に川口松太郎の「愛染かつら」のモデルといわれる樹齢1200年の愛染桂の22mの大樹が植わっている。

愛染かつらの巨木
そのさらに西の懸崖に張りつくようにして京都の清水の舞台のような医王尊瑠璃殿が聳え立っている。興味の尽きぬ場所であった。
医王尊瑠璃殿
お堂東側裏山手の仏像群
医王尊の高覧の下には松尾芭蕉の句碑「観音のいらか見やりつつ はなの雲」や信州松代出身の草川信が作曲した「夕焼け小焼け」の歌碑(作詞は東京八王子出身の中村雨紅)があったり、島崎藤村や北原白秋を始めとする文人たちも多数訪れていたことにも驚いた。
ゆうやけこやけでひがくれて
やまのおてらのかねがなる
おててつないでみなかえろ
からすといっしょにかえりましょう
こどもがかえったあとからは
まるいおおきなおつきさま
ことりがゆめをみるころは
そらにはきらきらきんのほし
夕暮れ時にこの医王尊瑠璃殿の下にたたずむと、自然と「夕焼け小焼け」の歌詞が口をついて出てくる、そんな日本の原風景が丘の下そして上に広がる一面の空に見えてくるようであった。
別所温泉 旅館 「花屋」に行ってきました!
長野県上田市別所温泉169
0268-38-3131
大正浪漫の建築で有名な旅館「花屋」にようやく泊ることができた。「ようやく」というのも、昨年の夏にこの大正浪漫溢れる旅館をネットで見つけ、予約を入れようとしたが、生憎、満室で断念した経緯があった。だから今年は3ヶ月ほど前から早々と予約を入れ、万全を期した。
「花屋」のHPを開くと分かるのだが、わたしは大正時代の宮大工が腕によりをかけて造作したという本館の21番か23番の部屋に泊りたいと思い、旅行代理店を通じて申し込んだが、家族3人では部屋が大きすぎる(定員が6〜8名)うえ、そもそも予約で一杯との回答であった。人数と予算の問題もあり、仕方がないので別の部屋でもよいと当日を迎えることになった。
シックな正面玄関
花屋の正面から玄関ははさすがに老舗の風格があった。そして館内へ上がり、部屋へと案内されるのだが、建物を結ぶ良質の栂(つが)を使用した渡り廊下と釣り灯篭という風情が「大正浪漫」をいやがおうにも掻きたてる。
宵闇が迫る頃、温泉へと向かった。その渡り廊下の途中から見える水車が回る日本庭園は幻想的で、気持ちは一挙に大正浪漫の世界へ飛んで行った。
温泉はすべて源泉掛け流しで3種類ある。わたしは大理石造りの室内温泉風呂に入った。そこのステンドグラスがお目当てだったからである。温泉の質はさすがに老舗だけあってよい。黄色や赤、青色のステンドグラスと大理石造りの造形がよくマッチし、湯船に浸かった気分は最高である。
そして部屋での夕食となった。この部屋の造作はまぁ、普通の旅館とあまり変わりはなく、HPで見た21番や23番の部屋の匠の技を見出すことは難しかった。また、室内のトイレ・洗面の配置がどうにも窮屈。そして洗面の設備は古過ぎていただけない。アメニィティ・グッズも大きく見劣りするので、今後の改善を期待。
料理は部屋に順番に仲居が運んでくれるので、温かく味わえる。ただ、わたしには料理の皿数が多すぎて、種類を減らして質を高めてくれる方がよいと感じた。それは家内も同意見であった。
千曲川産の鮎の塩焼き
翌朝は大正浪漫溢れる木造りの食堂で朝食を取った。
大正浪漫溢れるダイニングルーム
その後のチェックアウトまでの時間、前日にお願いしていた21番の部屋を見せていただくことになった。部屋へ足を踏み入れ、天井板に描かれた色鮮やかな絵柄を目にしてびっくり。障子に細工された細やかな桟の造作。床の間の床柱も素晴らしい。ひっそりとした座敷で仲居さんが「ご家族でお写真を撮りましょうか」というので、床の間を背にして三人、座布団に坐って、ひと時、大正時代の匠の技の部屋の空気を吸わせていただいた。広々としてゆったりとした贅沢な空間と時間であった。
ただ、家内はこの天井絵の下に寝るのは、何とも落ち着かないかも・・・、なぞと身の程知らずのことを言っておりましたが、わたしは機会があれば、もう一度、人数を募り、この部屋であれば泊ってみたいと思ったものである。
黒姫高原の夏の一日、ウッズ・コンサートを堪能(2008年晩夏)
もうあれから一年。この歳になると本当に時間が経つのが早いと実感しきりの今日この頃である。そしてこのブログを物するのにコンサートからひと月も経ってしまったことに、体力・智力・気力の衰えという加齢・三拍子を感じてしまい、まさに心中を秋風が吹きぬけてゆくようで、寂寥感が募る・・・。まぁ、そんな下らぬ前置きはそれぐらいにして、当日の楽しかった思い出を綴ろう。
今年ももちろん会場は陶芸家の山中恵介氏(和子氏のご主人)の森に囲まれた素敵な山荘である。メンバーも昨年のピアノ:山中和子・加藤孝子氏、サックス:中川美和・藤澤聡子氏に加え、留学先のウィーンよりサマーホリデーで帰国していたバイオリニスト細川奈津子氏が参加してくれた。
演奏者5名に対し、観客8名というまことに贅沢なコンサートである。
まずはコンサート。いや本来の目的であるコンサートについて述べよう。今年の曲目はバイオリンが入ったことで、一段と多彩で楽しい演目となっていた。ホームコンサートということで、耳に心地よい、ゆったりとした気分に浸れるものを山中和子氏以下、演奏者の方々で選んでくれた。その心づくしが本当に観客冥利につくのである。
Program
Piano duo(山中和子・加藤孝子氏)
ピアノソナタ C‐dur K.545 第二楽章(モーツァルト)
トルコ行進曲(モーツァルト)
組曲第二番opus17 ?.ワルツ(ラフマニノフ)
月の光「ベウガマスク」組曲より(ドビュッシー)
スカラムーシュ? ブラジリア(ミヨー)
Violin/Piano duo(細川奈津子・山中和子氏)
ラ・フォリア(コレルリ)
ロマンス A‐dur(シューマン)
タイスの瞑想曲(マスネー)
チャルダッシュ(モンティ)
Saxophone duo(中川美和・藤澤聡子氏・ピアノ山中和子氏)
アヴェ マリア(バッハーグノー)
アヴェ マリア(カッチーニ)
おとうさまお願い 歌劇「ジャンニ スキッキ」より(プッチーニ)
2本のサクソフォンの為のDuo Concertant 第?楽章(サンジュレ)
アンダンテとロンド(ドプラー)
午後3時半開演となった高原コンサートは、昨年に増して演者に力がこもっているように感じた。音楽に対する愛情が聴く人の心に伝わってくるのに違いない。一メートルという間近で楽器が奏でられる。演奏者の息づかいや細やかな指の動き、演奏の喜びの溢れる表情などその臨場感が、あたかも自分もその演者の一員であるかのような錯覚に陥らせる。実際に♪が漣のように一連の波動としてわれわれの胸に心地よく届いてくるのである。
そして、気がつけば、浅田真央ちゃんの「チャルダッシュ」に単純に感激するわたしがそこにいた。ホームコンサートって、こうした感じががいいのかなぁ〜♪♪♪
うっすらと森が暮れなずむ頃、音楽の宵は、(わたしが密かに)メインイベントと見なしているディナーへと移ってゆく。
今年は黒姫高原でイタリア料理のお店「TRATTORIA“LA TERLA”」(長野県上水内郡信濃町大字野尻3884-682 ロン都 イーストプラザ1F・?:026-255-4553)の若きオーナー・シェフ朝賀輝昌氏にじきじきお出でいただき、熱々の手料理をいただくことになった。
キッチンから届くイタリアン!! いやぁ〜、次から次へと用意される料理がわたしの喉を特急列車で通過する。あまりのおいしさに我を忘れ、喉を一度詰まらせて目を白黒させる醜態まで演じてしまったなぁ〜。あぁ、美味しいイタリアンに絶品のワイン・・・。余は満足であった!! そして、ワイワイ! ガヤガヤ! そこここで会話が弾む。その笑い声を聴きながら、ホームコンサートって、楽しい会話も音楽の一部なんだなぁと独りで感じ入ったのである。
おいしそだゾ!!
もう、なくなってるぞ・・・、イソゲ〜!!
おいしそ〜だ、生ハム
自分の取り皿にまずは、確保。ひと安心、エヘヘ(´∀`*)
そして今年、新たな出会いも・・・。バイリニストの細川さん、シェフの朝倉さんに加えて、宴たけなわの頃においしい黄金桃を持って現れた藤沢農園(長野県須坂市新田町2588・電話:026-245-8721)の藤沢英明・道子ご夫妻。お若い二人が果物を愛しておられることが、言葉の端々から伝わってきた。素敵な健康的な笑顔でした。そのおいしい黄金桃とプルーンを後日、宅配していただいたが、本当においしかった。新たな食との出会いであった。本当に来年もまた色々な意味で、タ・ノ・シ・ミ♪♪なコンサートである。
朝賀輝昌シェフ of TRATTORIA ”LA TERLA”
スターターのスパークリングワイン!!
サックスの競演
山中和子氏
冷えてもおいしい、白いたいやき (・◇・)ゞ 見〜つけた
たいやき本舗 藤屋
営業時間:10:00〜19:00
八王子店:八王子市追分町 7-9 (042-623-0063)
昭島店:昭島市拝島町 2-15-22 (042-545-0018)
今日、家内の知人が珍しい、「たいやき」を持参してくれた。冷えていてもモチモチでおいしいたいやきである。話によると皮はもち米にタピオカを混ぜているのではないかという。もち米だけだと、冷えると皮は硬くなるじゃないのとのご託宣・・。
白いたいやき
たいやきクンのそろい踏み
晩酌の途中であったが両刀遣いのわたしはパックリと黒あんの白いたいやきクンを口にした。なるほど、しっとりとしたモチモチ感で、餡子も甘すぎず適度で、上品。「あったかくても、冷たくてもおいしい藤屋のたい焼き」と、パンフレットにある謳い文句は掛け値なしに、その通りの味である。
豆乳クリーム入りのピンクのたい焼き(150円) ⇒ これ、絶品 (゚∀゚)アヒャヒャ
こんな珍しいたい焼きは初めて、なので、急きょ、いろいろUPしなければならぬことがあるのに、味に興奮して、皆さんにご紹介している。
おいしいものは、みんなでシェア!これ、幸せの大原則!!
何しろ、なくなったら店じまいということで、本当になくなるのだそうです。是非、早めに一度お試しを!どうしても必要な場合は電話で予約するのが確実とのことです。
白いたいやき:黒あん・白あん・カスタード 140円
チョコたいあき:チョコクリーム 140円
抹茶たいやき:抹茶あん 150円
生キャラメルたいやき:生キャラメルクリーム 150円
黒ゴマたいやき:黒ゴマあん 150円
豆乳たいやき(豆乳クリーム) 150円
ふっくら モチモチのたい焼きはお宝だと思いま〜す!!
鳩山政治の真価が問われる「25%削減表明」

気候変動サミットで演説する鳩山首相:ロイターより
鳩山由紀夫首相が国連気候変動サミットで、世界の90カ国以上の首脳を前に、2020年までに温室効果ガスの排出量を1990年比25%削減することを表明した。
そしてその発言に対して、フランスのサルコジ大統領が「新たな日本政府による約束を称賛したい」、潘基文(バン・ギムン)国連事務総長が「加盟国から大変好意的に受け止められている」と発言したことや、米国のゴア元副大統領が「鳩山首相の演説には感銘を受けた。とても意欲的な削減だ」など、敬意と称賛の言葉が寄せられた。
2020年と言えば残すところわずか10年である。こうした感想が国際政治へのデビュー間もない鳩山首相への単なる外交辞令であると考えるべきではない。また逆に、国際舞台で久々に脚光を浴びたと単純に喜ぶべき話しでもない。
要は国際社会への25%削減公約の意味するところは、今後の日本社会のあり方、日本という国が国際社会でどういう立場に立つのかを決定づける極めて重要な一里塚と捉えるべきだということなのである。
今回の国際社会への公約は、「世界のすべての主要国による、公平かつ実効性のある国際枠組みの構築が不可欠で、すべての主要国の参加による意欲的な目標の合意を前提とする」と釘を刺しはした。しかし、冒頭に紹介した国際的な評価は、その数値目標が、途方もない重みを持ったものであり、国際公約に反した時には政権が吹っ飛ぶほどの重みを持った発言であることの裏返しともとれるのである。
そこで、そうした重み、25%削減とはどのようなマグニチュードを持ったものかを実感するために、まず数字で確認をしてみたい。
この4月30日に環境省より温室効果ガス排出量の2007年度の確定値が発表された。それによれば、わが国の温室効果ガスの総排出量(CO2換算)は、13億7400万トンである。鳩山首相が25%削減を明言した対比年度である1990年度の排出量は12億6100万トンである。
鳩山首相の国際公約を数字で表すと、90年比25%削減目標とは、2007年実績からは4億2800万トン、31%の温室効果ガス排出量の削減し、総排出量を9億4600万トンにするということである。
その数字がどの程度のものかを知るために、温室効果ガス排出量の95%と大半を占め、部門別排出量が公表されている二酸化炭素の2007年度実績を見てみる。「工場等産業部門」の排出量が4億7100万トン、自動車・船舶等運輸部門が2億4900万トン、商業・サービス・事業所等業務その他部門が2億3600万トン、そしてわれわれ個人の家庭部門が1億8000万トンなどとなっている(2007年度CO2排出量:13億400万トン)。
要は削減すべき排出量が、「産業部門」の9割の量に匹敵するという、とんでもない数字なのだということである。すでにわが国の産業部門の省エネ技術は世界に冠たるものであり、削減努力は世界一番であると言ってもよいのにである。また別の観点から見れば、われわれ家庭部門が排出する総量の2.4倍もの温室効果ガスをこれからの10年以内で削減することを、国民の十分な理解のないままに、鳩山首相は国際公約したとも言える。
今回の国連気候変動サミットの発言を受けて、御手洗冨士夫経団連会長と日本商工会議所の岡村正会頭が「国際公約としての表明を厳しく受け止める」としながら、「全主要排出国の参加などの実現を求めたうえで、具体的な実行方法を国内に示して議論を深めてほしい」 、「米中の責任ある参加を強力に働きかけてほしい」、「環境と経済の両立に向けた道筋を示し国民的合意の形成を」と強く注文をつけたのも、その数字のマグニチュードが半端でないことを示している。
その達成には、首相が言う「高い技術開発のポテンシャル」やCDM(クリーン開発メカニズム)や排出量取引などの京都メカニズムの活用を考慮しても、日本経済は言うに及ばずわたしたちの日常生活にもかつて経験したことのない大きな負荷がかかってくることは、自明である。
やりようによっては、日本経済は大きく国際競争力を失い、日常生活も自動車の利用規制や電力・ガスの消費制限など、戦時中を思わせる統制経済が必要となるかも知れぬ。そうした内容を含んだ数字であることをまずわれわれ国民は十分に理解し、覚悟しておかねばならない。
そのうえで、鳩山首相が演説の最後に「まだ見ぬ未来の子供たちのために」、「産業革命以来続いてきた社会構造を転換し、持続可能な社会をつくるということこそが、次の世代に対する責務である」と述べたことに、心から敬意を表すべきである。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第4次評価報告書は、科学的知見から「20世紀半ば以降に観測された世界平均気温の上昇のほとんどは、人為起源の温室効果ガス濃度の観測された増加によってもたらされた可能性が非常に高い」ことを謳った。温暖化ストップ・温室効果ガス削減が人類の共通目的になったのである。
さはさりながら、サルコジ仏大統領が鳩山演説を称賛したことも、排出権取引市場の主導権を持つEUの一員であることを知れば、大きな温暖化ビジネスへの生臭い触手が伸びていると評することもできる。
温暖化防止、環境問題といえばクリーンなイメージで聞こえはいいが、各国の国益が真っ向から衝突するまさに新たな経済戦争であることも、われわれはよく理解しておかねばならない。そして、すでに二酸化炭素に価格がつき、各国間で取引が行われている事実もわれわれは知らねばならない。EUはそこに無から有を生むビッグビジネスを目論んでいることも知るべきである。
民主党政府に代わって、この国はある意味、「新生」を実感する明るさが萌し始めている。そうした状況の中で、民主党政府はこの国際公約成就への道筋につき、産業界や国民に対して、真摯に具体的手順やこれから負うべき負担や制約等を納得のゆくまで説明する大きな責任がある。
温暖化の問題、国際公約は当事者たる国民または産業界など国全体の理解と認識を共有することが必須である。そのためにも責任ある説明が必要であるし、鳩山政治の真価が、早速、問われる懸案となった。
そしてこの問題は人任せで済む話ではないことをわれわれ自身が認識しなければならない。どんなに難しくとも、環境と成長が共生できる社会の在り方、人の生き方を日本人の叡智、いや人類の叡智を借りて探し当てなければならない。そうすることで初めて、この日本という国が国際社会で尊敬される国家として認知され、一段の高みに登ることができるのだと考える。
八ッ場(やんば)ダム建設中止の大きな意義

産経新聞より:23日の地元代表との意見交換
いま報道で大きく取り上げられている八ッ場ダム建設中止の問題は、民主党マニフェストの「いの一番」に掲げられた「ムダづかいの根絶」のなかで「ムダづかい、不要不急な事業を根絶する」具体例として、川辺川と八ッ場ダムの中止が謳われている。そして、そのなかに言う「時代に合わない国の大型直轄事業は全面的に見直す」という考え方に基づいたものである。
その点についてマニフェストの解説版とも言うべき「民主党政策集」の「国土交通」の項目のなか「大型公共事業の見直し」で、次のようにやや詳しく書かれているので、ここに紹介しておこう。
「川辺川ダム、八ッ場ダム建設を中止し、生活再建を支援します。そのため、『ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法(仮称)』の制定を目指し、国が行うダム事業を廃止した場合等には、特定地域について公共施設の整備や住民生活の利便性の向上および産業の振興に寄与する事業を行うことにより、当該地域の住民の生活の安定と福祉の向上を図ります。」
これを読む限り、ただ闇雲に事業を中止するのではなく、法的措置を講じ、関係する地域住民の生活の安定と福祉の向上、産業振興等についての手当を行なうことが明示されている。また9月23日に現地の群馬県長野原町のダム建設予定地を訪れ、大沢正明群馬県知事や地元町長らと意見交換を行なった前原誠司国土交通大臣は、現在建設中の付け替え道路や水没予定地域の住民向け代替居住地の整備については事業を継続すると言明した。
1952年にダム計画が公表されてから57年。地元住民の方々がダム建設という国策によりその人生を翻弄され、その是非の論議が地域社会はもとより、親戚、親子の間にまで修復不可能なまでの亀裂を生じさせたことは想像に難くない。そしてひとつの国策が個人の人生を大きく狂わせ、その混乱のなかで無念の死を迎えた方々がおられる事実の重みは大きい。その筆舌に尽くしがたいご苦労や苦痛、悔しさを、当事者でないわたしが計り知ることは難しいし、そのことを軽々に語ることは本来、許されぬことと考える。
しかし、以上のことを心に留めたうえで、やはり八ツ場ダム建設中止の意義についてはどうしても語っておかねばならぬと思う。
今回の総選挙結果について、当ブログ「民主党、政権交代=静かなる革命は成就するか?」で語ったが、そのなかでこれは民主的手段による「静かなる革命」であると言った。
つまり、今回の政権交代は明治国家以来、連綿と続いてきた官僚による実質的意思決定システムに基づく国家運営を、国民の代表たる政治家で構成される国会の意思決定で行なうという至極当り前の民主主義へと大転換させる革命であると断じたのである。そして「国民の国民による国民のため」というプリンシプルに基づく政治に大変革する緒にようやくついた、まだとば口にあるのだと論じた。
そう考えたとき、いまメディアを賑わせている八ッ場ダム建設中止の是非は、その革命の原理・原則である「国民の国民による国民のため」というプリンシプルに基づいているか否かで判断するのが本来の筋であると考えた次第である。
前原国土交通大臣はそれで十分なはずはないが、『ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法(仮称)』を整備したうえで、これまでの住民の計り知れぬ苦労や失われた時間、経済的損失の補償を行なうことを明言した。
全国にある不要不急、税金の無駄遣いの建設中の事業は八ッ場ダムだけではない。役所の合目的的な需要予測を前提とした「タメにする」公共事業あるいは時代的使命を終えたはずの公共事業がまだまだ存在していることは、自分の身近をちょっと見廻して見るだけでも明らかである。そうした時代背景のなか、われわれはいま、国民の手に政治を取り戻す静かなる革命のとば口に立っているのである。
政権交代という革命の目的は、主権者たる国民が政策意志決定に現実的に参加できる政治、つまり「国民の国民による国民のため」の政治の確立にある。これまでの半世紀、この国では実質的に一党独占政治が行なわれてきた。その強固な意思決定システムの大変革は容易なことではない。
八方が丸く収まる革命などなく、無血革命といえども、様々な不利益、不便が各方面に生じ、そこで人生の歯車が狂う人々も出て来よう。
しかし、われわれは今回の総選挙で初めて自らの意思、手で劇的な政権交代を果たし、この国のあり方を根底から変えて見ようと決めたのである。
そのためには、言葉を選ばずに乱暴に言えば、八ツ場ダム建設中止は大事の前の小事と考えるべきであるというのが、わたしが至った結論であるということである。国のあり方を根本的に変えるためには、「プリンシプル」、「原理・原則」に則って、ブレることなく、思うところを進めていかねばならない。殊にスタート当初は、ひとつの例外を作ることですべての改革をなし崩しにしてしまう危険性をわれわれ国民は臆病なまでに思慮しておかなければならないと思うのである。だからこそ革命の緒についたこの局面で、個別事情、人間的情愛において政策決定を行なうわけにはいかないのである。
以上がわたしが八ッ場ダムの建設中止はやむを得ぬと考えた理由であり、大きな意義があるとした所以である。
能・「融(とおる)」 六条河原院の縁の地を歩く 壱
友枝昭世の第13回厳島観月能「紅葉狩」の夜
能・発祥の地、新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を訪ねた
国宝の北能舞台(西本願寺)を拝観しました!
水上能を堪能=観世流「融」
パルテノン多摩・きらめきの池に特設された能舞台で水上能が催された。5日午後5時半開演に合わせて、観客が雲の流れのはやい天上の舞台を目指してぞくぞくとパルテノンの大階段を上ってゆく。

雲の流れがはやい
開演に先立ち、観世流能楽師の河村晴久氏が能の見方をわかりやすく解説してくれた。観世流では橋懸りから見て脇柱方向が東の方角と見立てるという。したがって月が東に昇る仕草はその方向に目をやるのだそうだ。そして時間とともに月の位置が変わる様を、徐々に右手に目をやることによって表現するという。そして幕口の方向に月が隠れることになる。当日は野外舞台である。実際の方位は反対であり、「本日は、実際には幕口の方向に月が昇ります」と、観客の笑いを誘った。
仕舞:「野宮」 河村晴道 「天鼓」林喜右衛門
狂言:「狐塚」 シテ/太郎冠者 茂山正邦
アド/次郎冠者 茂山童司
アド/主人 松本薫
能 :「融 舞返」 前シテ/汐汲の翁・後シテ/源融の霊
河村晴久
ワキ/宝生欣哉
アイ/松本薫
笛/藤田六郎兵衛 小鼓/大倉源次郎
大鼓/助川治
地謡 河村浩太郎 味方團 河村和晃
林喜右衛門 田茂井廣道 河村和重
まだ明るい夕方、多摩丘陵の高処にあるパルテノン多摩。周辺の木々の緑も濃い。ニイニイ蝉がかしましい。宵の気配が迫ってくる頃、ツクツクボウシの鳴き声がまざってきた。南の空に宵の明星がひとつ明るく輝く。まだ、自然の野外装置は夏模様である。
狂言が始まってしばらくした頃、ふと気づくと蝉の鳴き声は舞台から去り、秋の虫が一斉に涼やかな鳴き声をあげていた。きらめき池に設けられた能舞台は秋一色に染め上げられてきた。
20分の休憩をはさみ、いよいよ、「融」の舞台が始まった。汐汲みの翁が登場し、ここ荒れ果てた六条河原の院が塩釜の浦に似せ造園されたとの謂れを語る頃、わたしの正面に雲ひとつ見えぬ夜空に満月が木の梢越しに昇って来た。水上能のみでなく、観月能も堪能することとなったのである。
みごとな望月、これは観月能でもあった・・・

(www2u.biglobe.ne.jpよりお借りしました:汐汲みの翁)
3時間におよぶ水上能。自然の季節感を実感しながら、河村晴久氏の早舞いと亀井広忠氏の打つ大鼓のカーンという音、裂帛の気合はまさにこの夜の圧巻であった。わたしはいつしか舞台に引き摺りこまれていた。晩夏と初秋のはざまのひと夜、蝉の声、コオロギの声、宵の明星、満月・・・、多摩丘陵で過ごした最高の夜でした。
当日の演目・演者は以下のとおり。政権交代=静かなる革命は成就するか?
2009年8月30日の第45回衆議院議員選挙において、鳩山由紀夫代表率いる民主党は公示前の115議席から193増の308議席を獲得する歴史的大勝を果たした。対する自民党は300議席から181減の119議席へと公示前の4割へとその勢力を減衰させた。
日本の政治の勢力地図が過去にない劇的な転換を見せたのである。別の言い方をすれば、国民の手による静かなる革命と表現してもよい。
過去、55年体制以降では、1993年8月9日に発足した細川内閣(退陣94年4月28日・在任期間263日)が非自民政権として国政運営にあたったが、この政権は宮沢喜一内閣に対する不信任案に賛成票を投じた自民党造反組の羽田派が結成した新生党と武村正義グループの新党さきがけや細川護熙(もりひろ)率いる日本新党、さらに社会党、民社党、公明党など8つの政党、会派が連立を組んだ烏合の衆の非自民連立政権であった。しかも自民党は衆議院の第一党の地位にあった。ために、その後の政局運営は「ガラス細工の政権」と揶揄されたように多難に満ち、1年を経ずして退陣に追い込まれ、自民党が与党に返り咲いたのは周知のことである。
それに対し、今回の民主党政権は参議院で過半数を押さえていない弱みはあるものの第一党の地位を占めており、二大政党制の確立を予想させる堂々たる本格政権と言える。特に98年からの新生民主党は政権交代を党是とし、二大政党政治の実現を目指した。その結党の夢が今回の総選挙によって実現を見たことになる。
選挙後はそれまで以上に、マニフェストに掲げる子ども手当の創設や高速道路の無料化等その政策がばら撒きである、財源問題が不透明であるなどその実現性に関し様々な疑問の声があがっている。投票日翌日だったか、NHKの夜の各党討論会でも司会が岡田克也幹事長に対し政権担当能力への懐疑をぶつけた場面があった。そのとき岡田幹事長はまだ政権発足もしていない時点で、まだ国政運営の実際を見ることもなしに、そう言った質問をすること自体、「大変、失礼である」と不快感を露わにした。
わたしも「無礼千万!」と、思ったものである。どうもこの国は何事につけ、性急な結論、結果を求め過ぎるきらいがあるようだ。そしてこの司会者は主権者たる国民が今回の総選挙で民主党に国政を託す選択をしたという重大な事実を軽視しているのではないかと、その見識を疑わざるを得なかった。
国民は自らの意思により民主党に対しこれからの国政運営を託したのである。その意思の表われが308議席という歴史的数字による政権交代の実現なのである。そのことは、逆に、われわれ国民はその意思とそこからの結果に責任を持たねばならぬということを意味する。だからこそ、その意味において国民は与党となった民主党をゆっくりと育ててゆく寛恕の心を持つべきであり、成果を急かせぬ覚悟がわれわれに求められているとも言える。
半世紀におよぶ一党支配の政治体制が、政治システムにとどまらず、日本社会の様々な組織や社会構造、意志決定のあり方などに硬直化や澱みそして癒着を生んできた。国民の意思を無視したそうした澱(おり)は、社会の仕組みの礎石に折敷き、長年の間に礎石の表面は汚泥に汚れ、ヌルヌルとし、その上に建つ社会構造の大黒柱がツルツル滑り、不安定な揺らぎを示していた。ここ数年、急速に進んだ社会格差や閉塞感といった負のエネルギーが、社会に充満していることは国民が、一番、よく実感していたはずである。そしてそうした状況を放置しつづけた自民党政治に憤りを覚えていたはずである。だからこそ、待ちに待った今回の総選挙において、一挙にその怒りを政権交代という形で爆発させたのである。
この自明の理を民主党は忘れるべきではない。国民の意思を無視した政権は、今の小選挙区制度において、一日して簡単に与党の座から転げ落ちるという冷厳な事実を目の当たりにしたのだから。日本国民は決して愚かではなかったし、政治に無関心でもなかった。政治に対する積年の怒りを武力などという野蛮な手段ではなく、選挙という民主的手続きによって、政権交代という静かな革命の第一歩を成就させた良識ある国民であったと言える。
しかし、この静かなる革命を喜んでばかりはおられぬ。この革命の実質的な成否はまさに「これから」にあるからである。これからこの革命を真に国民のためにある、「正しき」方向に導くのは、実は、今回、政権交代を果たした与党民主党でもなく、ましてや細々、粗探しを行なう大手マスコミでもない。革命成就の成否は小選挙区の醍醐味を実感した、まごうことなき主権者たる国民自身の手の中にあることを知るべきである。民主党ではなく、国民が今回の政権交代を果たしたのである。その重要な歴史的事実をわれわれ自身が成したのであるということを決して忘れてはならない。
後水尾上皇を巡る人物と建築物 1にもどる
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標高149mに建つ隣雲亭を後にして浴龍池の方にいよいよ降りてゆくことになる。隣雲亭の北側からややきつい傾斜の石段を下る。階段を降り切ると、目の前を小川が横切っている。右手奥の山手を振り返れば、音羽川に水脈をたどる高さ約6mの雄滝が見える。その水音を横に聴きながら浴龍池の東岸へと出る。拝観コースはそこから時計と反対回りに浴龍池を回遊し、さきほどの御幸門を出て上御茶屋を後にすることになる。
われわれはほぼ平坦な池の端の苑路を進んでゆく。浴龍池には隣雲亭から見下ろした際に目につく万松塢、その北側に中島、そのまた北に三保ヶ島と三つの島が存在する。左手に万松塢を眺め少し進むと、左にほぼ直角に池を跨いで長さ二間ほどの木橋がある。楓橋と呼ばれるその瀟洒な橋を渡って中島に入る。三つの島で拝観者が上陸できるのはこの中島だけである。

その中島のうえに当離宮の創建時から唯一残る建物である窮邃亭(きゅうすいてい)がある。一八畳の間と附随の水屋からなり、北西隅に直角に折れて畳一枚分高くした上段がある。その西面する障子窓の下に御肘寄(おひじよせ)と呼ばれる細長い一枚板が渡されている。その外側に蔀戸がある。客人たちはこの宝形造りの茶屋で一服の茶を所望し、蔀戸を上げて、御肘寄に腕をもたせかけて、屋外に目をやったことだろう。
中島から万松塢に架かる中華風の千歳橋(右に一部見えるのが窮邃亭)
離宮創建時のままの窮邃亭
その眼下には浴龍池と左下に万松塢、斜め右手には御船屋を見下ろす。
西浜の舟屋
そして正面には200mほどにおよぶ西浜、その垣根の向こうには洛中市街があるはずである。夕方などには西日の逆光をうけて樹々のシルエットが浴龍池の水面に照り映えた景色に感歎の声を惜しまなかったに違いない。
夕日に映える西浜
窮邃亭の南軒下に掛けられた扁額は、後水尾上皇の御宸筆になる。年季の入った「窮邃」の窮屈とも見える文字と何の装飾もない簡素なこの建屋は、壮大な離宮を構想し、造営した上皇の雄渾な気質とあまりにもそぐわぬように思えた。それは、幕府との長年の確執や深い怨恨そして父帝後陽成天皇への激しい憎悪といった上皇の苛烈な性格と、第八皇女の朱宮(あけのみや)光子内親王に示された深い慈愛の御心との間の落差に戸惑う感情とも似かよっている。
御宸筆の「窮邃」の扁額
そうしたどこか吹っ切れぬ思いを抱えながら中島から北西に渡された長い土橋を通り、池の端に出る。ここには舟遊びをする舟を納める御舟屋とちょっと先に数段の石段で出来た舟着きがある。
紅葉の御舟屋
舟着きを過ぎると苑路は左に直角に折れて、西浜と呼ばれる真っ直ぐな砂利道が続く。この西浜の苑路が実はさきほど松並木の間から見た大刈込の堰堤の上部となっているのでる。風雅といえばあまりにも雅である。その西浜の隅からの、遠く見上げる隣雲亭や水平方向に見える万松塢、奥行きを感じさせる浴龍池の景観からは、上皇の造園家、建築家という一面より、演出家としての才能を強く感じざるを得ないのである。
西浜から望む隣雲亭
中島から西浜に架かる土橋
西浜に佇み、池の上をしずかに進む
龍頭鷁首(りゅうとうげきす)の二艘の舟。龍頭の舟には唐楽(からがく)の楽人が、鷁首の舟には高麗楽(こまがく)の楽人が乗り、舟上で管絃を奏でる。万松塢の御腰掛けに腰を降ろした雅人たちは、一服のお茶に喉をうるおしながら湖面を流れてくる「海青楽(かいせいらく)」や「千秋楽」といった舟楽(ふながく)に耳を傾ける。そして、時折、東山連峰から吹き下りる風が、大自然との一体感を感じさせる。そうした雅の光景を脳裡に思い浮かべて見るとき、それは壮大な野外ステージで演じられる一幕の劇を観るようであり、上皇は舞台演出家と評するべきであると確信に近い思いを抱くことになる。
万松塢の御腰掛
そしてわれわれは御幸門を出て先ほどの御馬車道を反対に下り、寿月観の北側を回り込むようにして参観者の出入り口に戻る。約1時間20分におよぶ苑路3kmの拝観は終了となる。最後の砂利道の下り坂は大した斜度ではないが、その頃には、かなり足のツッパリがきつくなっていることに気づく。その意味でも修学院離宮は、桂離宮や仙洞御所、京都御所とは明らかに異なった、荒ぶる自然を自家薬籠中のものとした独特の構築物であると言える。
西浜の隅から浴龍池
2009年8月15日、お盆、お墓参りです!
去年は蝉が鳴かないと異常気象の影響を感じた夏でした。今年もつい先日まで、蝉の鳴き声があまり聞こえず、やはり、今年も異常気象の影響でダメかと思っていましたが、立秋を過ぎたころから、暑さが本格的になるとともに一斉に蝉の大合唱が始まりました。
立秋ののちに暑さが本格的に、8月15日の太陽
庭のサルスベリも満開に
玄関に落ちた蝉の脱け殻
いま、庭からもたくさんの蝉の鳴き声が聞こえてきます。
今日は8月15日。終戦記念日であるとともに、旧盆の日です。
本堂とお花も少ない旧盆
お団子と
今日は家内とお墓参りに行ってきました。娘は昨日、家内と墓掃除に行って来たので、今日はパスと自宅で無聊をかこっていました。菩提寺は多摩霊園の横にありますが、東京は新盆が主流ですので、霊園への墓参客もお彼岸などと違って少なかったのが印象的でした。
多磨霊園内も旧盆は人影もまばら
菩提寺の方もお墓に活けられた花も少なく、やはり東京人は新盆なのだと思ったものです。照りつくような暑さを久々に味わいました。静かな境内で夫婦ふたりでお墓にお酒とジュースと家内手造りのお団子をあげて、手を合わせました。もう後、どれくらいしたらわたしたちもこの中に入るのだろうと、考えながら手を合わせていました・・・。頭上では境内の大きな木々が唸るように蝉の声を吐き出していました。
夏は暑い!!やはり自然は生きていると、ホッとした次第です。住職ご夫妻と2時間ちょっと世相を嘆き合うお話をして、帰宅しました。住職の奥様が「境内の蝉がものすごいですよ。朝方など境内に出ると、方々から猛スピードでぶつかって来て、危険なくらいです」と言っていた。自然が残るところには命は息づいている・・のですね。
大樹に止まる蝉・・探して下さい
松の樹に止まり、思いっきり鳴く蝉
鳴かぬ蝉もいました・・・
でも、今年は晴れ上がった、暑い、お盆らしいお盆を過ごしました。夜には久しぶりに息子が訪ねてきます。お墓でちょっと口をつけた日本酒で一杯、息子とヤロウと考えています・・・。
政権交代! Yes or No?
第45回衆議院議員総選挙が来る8月30日(日)に行なわれる。7月21日の「バカ太郎解散」とも一部で呼ばれる衆議院解散から41日目の投票ということになる。
今回は各種世論調査でも政権交代を予感させる数字が続出している。与野党間をふくめメディアなどで交わされる議論も、ある種、選挙結果を待たずにもう政権交代が既定の事実となっているかのような錯覚すら覚えてしまう。
かような事態のなか戦後の混乱期と細川政権時代を除いて、これまで長らく政権与党の座についていた自民党の狼狽振りとその悲愴感は分からぬではない。しかし、半世紀を超える長きに亙る一党支配の政治がこの日本に明らかな制度疲労をもたらし、それが社会の荒廃という形で顕在化して来ていることは否めない事実である。
政権維持に不利な情報の隠蔽、与党と官僚のもたれあい、社保庁に代表される行政組織の弛緩、地方財政までを巻き込んだ利権構造のしがらみ、行政・司法人事の一党に偏した流れなど、社会構造の硬直化と主権在民の形骸化、そして政治・行政の透明性欠如とも併せて、国の仕組み自体のガラガラポンが必至であることは言を俟たない。
そうしたなかでの総選挙である。衆議院議員選挙法改正により婦人参政権が与えられた戦後初の総選挙(第22回総選挙・衆議院解散 1945年12月18日、投票日1946年4月10日=投票日までの期間114日)を除いて、公選法第31条3項「衆議院の解散に因る衆議院議員の総選挙は、解散の日から40日以内に行う」を目一杯に適用した40日間におよぶ実質的選挙運動が、盛夏の8月一杯にわたり行なわれる(公示日は8月18日)。
われわれ国民もここは心してこの総選挙に臨まねばならない。幸い今回は、前回の郵政選挙のような熱病にうなされることなく、投票日までの時間もある。TV、新聞等を通じて、マニフェスト(政権公約)の概要たる「自民党の政策・みなさんとの約束」や「民主党の政権政策・政策集」など(政権公約は公選法の規定で公示日以降、配布可)自民、民主等の掲げる政策の検証、比較、論争も前回選挙に較べ明らかに活発になってきている。もちろん8月12日の麻生太郎、鳩山由紀夫両党首の間で行なわれた党首討論やメディア等の政策検証の緻密さや具体性などは必ずしも満足のいくものでないとしても、それは政党政策自体に大きく具体性を欠く部分があるということでもあり、仕方がないとも言える。ただ党首討論のディベートのあり方、質の面での水準アップは必須であるのは言うまでもない。
さて、わたしは7月21日の解散以降、さまざまな意味において今度の選挙をどう考えたらよいか悩んできた。前述の二大政党の政策もHPから刷り出し、読んだ。メディアの各党の政策比較なども参考にした。その間、心は右に左に揺れ動き通しだったというのが、正直なところである。自民党が攻撃する政権担当能力が果たして民主党にはあるのか。素人目にも、政権を狙うには同党の国家ビジョンは分かりづらいうえに、安全保障問題など国家運営の根幹の部分における党内議論の統一化が図られていないなど大きな弱点、問題点が日々、露呈されるのが実情である。
それを目にする日には、いやとてもこの党に日本を任せるわけには行かぬということになる。しかし、この人心の荒廃した、経済基盤が脆弱化した日本を見るにつけ、これまでの半世紀余、政権を担当してきた自民党には、一体、政権担当能力があると言えるのか。そう考えると、今のこの日本の体たらくをもたらしたのは自民党、あなたではないかということになる。右に左に心が揺れ動くわけである。どっちもどっちで不甲斐ないのだから。
であれば、やはり一度、政権交代によって戦後政治の膿を出し尽くして、日本は出直しをするしか道はないのだと思い定めたところである。衆参の捻じれだけで、いろいろとこれまで隠されていた情報・事実が表に表われたことひとつで、その実効性は実証済みと言えるのではないか。
だからまずは民主党による政権交代を行なわせ、そこで硬直化した社会構造に風穴を開けさせる。次に戦後の中央・地方を巻き込んだ利権構造をぶち壊す。そして隠蔽されたさまざまな情報を国民の目の前に開示してもらう。その過程で、大きな政・官・財の疑獄も出てくるかもしれない。そうした戦後政治の大掃除をやることが、今の日本が置かれた環境では、待ったなしの方途なのだと思う。
その後に、民主党の安全保障の考え方、日教組を大きな支援母体とする同党の教育改革の考え方など、国家運営の根幹、バックボーンの存念を、国民の前で明らかにしてもらう。そして民主党が現状のままの党内事情であるとすれば、当然、その根幹の問題で党内統一を図ることは不可能である。この急所をついてゆけば、閣内不一致どころか、同党は自壊の道を歩んでゆくしかない。
その倒閣運動のなかで、自民、民主などの既存政党の枠を超えた、本来の主義主張の旗の下に、政界が再編されてゆくのが、最もすっきりした、国民に分かりやすい二大政党政治の成り立ちなのだと思う。対立軸は、「憲法9条を守る」のか、それとも「米国からの独立、つまり核の傘から脱け、自主防衛の道を探る」のかでもよいし、「北欧型の高福祉・高負担国家」を選択するのか、「中福祉・中負担」あるいは小泉内閣が目指した市場に任せた「小さな政府」国家を選択するのかでもよい。
その大きな選択をするためには、やはり一度、この国の大掃除をやっておく必要がある。わたしはこうした以上の手順を踏んでこれからの日本の政治が動いていって欲しいと願い、この30日、投票所へ行こう決めたところである。
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