彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

2016年10月4日の八千穂高原の紅葉、見頃はこれから。白樺群生林で秋風を纏う!!

2016年10月4日、御射鹿池(みしゃかいけ)は色づきはじめ、紅葉の見ごろは中旬から下旬!
2016年の白駒池(しらこまいけ)の紅葉は10月8日から10日の3連休が見ごろ

(当ブログの写真・記事等の無断転用を禁じます。) 

八千穂高原は北八ヶ岳の東麓に広がる高原であるが、2016年の紅葉の見頃は10月中旬から下旬とみたのでご報告。

1・10月4日の八千穂レイクです
2016年10月4日の八千穂レイク、紅葉はまだまだ先
10月4日の八千穂レイクはこんな感じで、紅葉の見頃にはまだまだという状況。

 

今回は自然園を訪ねなかったが、ここが実は紅葉の穴場である。10月下旬には園内には“もみじ橋”風雅な名前の橋も架かり、盛りのころには紅葉・黄葉が目を楽しませることは請け合いである。

2・八千穂高原自然園内・もみじ橋
八千穂高原自然園内 もみじ橋(2015年8月撮影)
八千穂高原自然園、今年は11月6日(日)まで開園している。冬期は閉園となり、来年の4月の下旬に開園となるので紅葉鑑賞に訪れる際には注意のこと。

 

10月下旬から11月上旬の頃は、国道299号線(メルヘン街道)沿いのカラマツ林の豪勢な黄葉を目にしながら麦草(標高2127m)峠を越え、八千穂高原へと下っていくのも一興である。

18 麦草峠越え
メルヘン街道麦草峠
まず、麦草峠の少し手前に日向木場展望台標高1950mがある。

4・メルヘン街道沿いの日向木場(ひなたこば)展望台
日向木場展望台
真下にある駐車場に車を停め、すぐ上の木造展望台から正面に南アルプスを見る。この日は日本第二の高嶺、北岳がくっきりと見えた。また、すぐ眼下にカラマツ林が広がっているので、盛りにはさらに絶景が楽しめる。

5・手前カラマツ林と南アルプス北岳を望む
この日は最高の眺望。北岳もくっきり
そこから麦草峠を越えてすぐに佐久(R299)と韮崎(R480)に分岐するポイントがある。

6・佐久と韮崎分岐点
分岐ポイント
ここに“レストハウスふるさと”がある。駐車場も広々しており、天気の良い時にはぜひ小休止をお勧めする。というのも、ここからの浅間山の眺望はそのふもとに広がる佐久市街も一望でき、すばらしい景色であるからである。

7・浅間山と佐久市を一望
浅間山と佐久市が一望できる絶景ポイント
そこを出て、佐久方面に299号線を5分ほど下ってゆき、看板のところで右に曲がると、そこが本日お目当ての“日本一白樺群生地”である。

8・白樺群生林をつらぬく林道
白樺群生地をつらぬく一本道
この辺りの紅葉のピークは白駒池の紅葉時期より大体、2週間ほど遅れるのが通常であるので、もしピンポイントで尋ねたいと思われる方は八千穂高原自然園(0267-88-2567)に問い合わせをしてから出かけるのがよい。

9・八千穂高原自然園管理棟
八千穂高原自然園管理センター
今年の秋は雨天の日が続き、蓼科散策も思うようにいかない。この10月4日も、台風18号の影響から不安定な天候のなか一日だけ晴天というので、八千穂高原の紅葉には早いが、青空のもとで白樺の群生林を散策したいと八千穂高原へと向かった次第である。

10・八千穂レイク周辺案内図
八千穂レイク周辺案内図
約200haの敷地に50万本の白樺が群生しており、熊笹のなかに整備された高原の小径は恋人とのデートには最適なコースである。

11・群生林の散歩道
白樺林の散歩道
この日は大正解。前日の雨もあり、数日間が天気が不安定だったこともあり、群生林には物好きな客もおらず、青空のもと二人合わせて130歳という高齢カップルではあるが、二人だけの森の散歩を心置きなく堪能できた。

12・秋空に白樺
秋空に映える白樺
実際に道を隔てた八千穂レイクには恋人の聖地に認定されたスポットもあるので、輝ける未来が待つ若いカップルはこちらも一緒に訪ねると、その効能?は抜群である。

13・恋人の聖地の認定碑と八千穂レイク
恋人の聖地認定標と八千穂レイク
この日は好天ということで、のんびりと糸を垂れ太公望を決め込む釣り客があそび、その先には浅間山が見渡せる、数少ない秋の行楽日和の景色ではあった。

14・太公望と浅間山
太公望と浅間山
湖畔にはコーヒーやソフトクリームを提供するカフェがあり、われわれは休憩を兼ねてテラスで湖を眺めながらおいしいソフトクリームに舌鼓を打った。

15・ソフトクリームと八千穂レイク
ソフトとレイクとシラカバ
白樺群生地の一番の見頃は5、6月のミツバツツジやレンゲツツジが花開き、樹々の新緑が萌えるころがよいという。しかし、秋の一日に人影も見えぬ高原の散歩道を老夫婦がのんびり人生の歩をすすめてゆくのもこれまた一興である。

16・白樺の群生林
秋の好日の白樺群生地
紅葉だけではなく、美しい風景がそこここに転がっている秋の八千穂高原。
17・秋の信州・メルヘン街道から
メルヘン街道・薄と信州の山並み
秋の信州の穴場である。小さい秋を見つけに信州の町々を訪ねられてはいかがでしょうか。



2016年10月4日、御射鹿池(みしゃかいけ)は色づきはじめ、紅葉の見ごろは中旬から下旬!

2016年10月4日の八千穂高原の紅葉、見頃はこれから。白樺群生林で秋風を纏う!!
2010年、御射鹿(みしゃか)池の紅葉、見頃は10月23日(2010.10.18)

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1・定番のアングルでの御射鹿池です
2016年10月4日の御射鹿池は色づきはじめ
白駒池の帰り、夕刻になったが久しぶりに御射鹿池を訪れた。すると御射鹿池周辺の道路の拡張工事が進んでいた。

2・道路幅拡張
御射鹿池横の湯道街道は拡幅工事中
駐車スペースも同時に拡張される様子で、これまで路肩駐車を余儀なくされていたものとしてはありがたい。以前は御射鹿池の排出口の小さなスペースに4,5台停まるのが精々であったから、これで心置きなく御射鹿池のミラーレイクぶりを堪能できることになる。

3・湖畔へは入れません
湖畔への立入禁止。ちょっと無粋な柵です
そして、工事の関係だろう湖畔への立ち入りが禁止されており、ちょっと残念な気分。それでも道路から撮ったのが以下の写真である。

4・きれいです
柵の上から撮りました
2016年10月4日の御射鹿池の紅葉はまだ色づき始めといったところ。

5・紅葉にいま一歩
紅葉はいまいち、でもミラーレイクぶりはさすがです
ただ、角度と日差しによってやはり湖面の美しさは大きく変わる。

6・ミラーレイクです
ちょっと色模様もあります
この日もそう滞在時間は長くなかったが、いい写真も撮れたようだ。

2、3名の写真愛好家がいつものように一眼レフを片手に熱心にその一瞬をとらえようと構えていた。

7・まさに鏡です 御射鹿池
湖面に写る緑
当方はいつものキャノンのSX710HXでパチパチとそれこそ普段着の御射鹿池を撮る。

8・トンボが停まる御射鹿池
湖面の草にとまる蜻蛉
こちらが気楽な心持だとミラーレイクのほうも構えぬスッピンの顔を見せてくれる。

10月の残りの日々、紅葉が盛りを迎えるにつれ、少しよそ行きの顔を観光客に見せ始めるのだろう。

9・御射鹿池
これからが紅葉本番です
でも、いつも思うが、東山魁夷さんもすばらしい場所をよくぞみつけたと感心しながら、また、来年、お会いしましょうと帰路についた。



道草しながら車遍路(逆打ち)の四国88か所霊場めぐり 第86番札所・志度寺

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長尾寺から県道3号線をほぼ真北へ向かって走ると、志度湾に面して建つ志度寺へ達する。
距離にして7・0km、所要時間は16短い行程である(経路地図)

1・志度寺
第86番札所・志度寺
志度寺は藤原不比等(藤原鎌足の子)を開基とし、国宝の十一面観音立像が本尊である。

2・志度寺・仁王門
仁王門
仁王門から入り、書院を右手に左手に向き合うようにして大きな本堂が見える。

3・本堂
本堂
その本堂正面から左手突き当りに五重塔が見える。

4・本堂前から五重塔
本堂前から五重塔を見る
この時期はあいにく葉叢が分厚く境内を覆うため視界が狭く、すっきりと五重塔を見上げることは難しい。

5・志度寺五重塔
本堂右に大師堂がある。

6・大師堂
大師堂
大師堂を南に下がると薬師堂。

7・薬師堂
薬師堂
薬師堂から西に向かうと左手に先ほどの書院へ通じる小さな門がある。

8・書院入口
書院への門
書院の南側には淡海公(不比等)と海女の珠取説話をテーマにした枯山水の無染庭が見える。

9・珠取説話の無染庭
無染庭
その生垣の外に日本で三つしかないという曲水式庭園が広がる。

10・曲水式庭園
曲水式庭園
そのひとつが滋賀県高島市にある旧秀隣寺庭園(現・興聖寺)であるというが、十一面観音立像の楠が流出した地がその辺りであるという不思議な縁をここにも感じる。


そんなせっかくの文化遺産であるが、手入れが行き届いていないのか全体を見渡すのが難しく、実に残念である。

11・草で覆われた曲水式庭園
曲水の石組が見えなくなっている庭
この曲水式庭園の奥にひっそりとお辻の井戸がある。

12・曲水の庭と書院の生垣に沿った奥にお辻の井戸
お辻の井戸
説明版によれば、歌舞伎や浄瑠璃の演目・「花上野誉石碑(はなのうえののほまれのいしぶみ) 志度寺の段」でお辻が水垢離し、のちに身を投じて自害した井戸と伝えられるものである。

13・お辻の井戸・納経所・五重塔・書院
左隅にお辻の井戸 手前が書院、左が納経所 遠くに五重塔
そして、御朱印をいただく納経所は書院の脇に隠れるようにしてあった。

14・納経所
さて、この寺にはその由来をひも解く「志度寺縁起文7巻」と重要文化財・「絹本著色志度寺縁起絵図6幅」(鎌倉後期)が伝わっている。その構成は次のごとくである(「珠取説話の伝承圏」(大橋直義氏)より)。

  御衣木の縁起

  讃州志度道場縁起

  白杖童子縁起

  當願暮當之縁起

  松竹童子縁起

  千歳童子蘇生記(この縁起文の縁起絵が欠漏し、縁起絵図は6幅)

  阿一蘇生之縁起

 

この縁起文・絵図の第2幅・「讃州志度道場縁起」に謡曲・能の名作「海人」の下敷きとなった珠取説話が語られている。

 

唐の第3代皇帝・高宗に嫁いでいた藤原不比等の妹が宝珠を奈良・興福寺(蘇我入鹿を討った父・鎌足の供養する藤原氏の氏寺)へ贈ろうとしたが、志度の浦で龍神により奪われてしまう。そこで宝珠を取り戻すため志度を訪れた不比等は海女を娶り、一子(房前・のちに藤原道長を輩出する北家の祖)をなす。

 

海女は房前を世継ぎとするとの約束を不比等と交わし龍神から珠を奪い返すため海に潜る。宝珠は無事、不比等の手に渡るが、龍神との戦いにより海女は息絶えてしまうといった物語である。

 

不比等が海女を供養して建立した堂宇が志度寺であり、のちに藤原家を継いだ房前がこの地をたずね、母の菩提を弔い千基の石塔を建てた一部が境内に残る海女の墓五輪塔群である。

15・古跡海女の墓 志度寺
海女の墓の石碑と木柵に囲われた五輪塔群
そして、この宝珠がその後どうなったかであるが、志度寺縁起および興福寺に係る「太鏡底容鈔」に、不比等の手により興福寺の本尊の御髪に籠められたと記述されており、志度寺が藤原氏と極めて深い関係を有していることに驚かされる。

16・海女の石塔
海女の墓の石塔群
また、「御衣木(みそぎ)之縁起」にも藤原家との濃密なつながりを伝える不思議な言伝えが描かれている。十一面観音立像の御衣木つまり像材となった楠の大木に関する奇譚である。

 

近江国高島郡三尾里から流出した楠の大木が志度浦にたどり着く。凡薗子尼(おおしそのこに)がこの霊木を引き上げ、造立されたのが本尊・十一面観音立像であるのだと語っている。

 

そして、まことに不思議なことに、この高島郡三尾里から流出した楠を御衣木(像材)として本尊の十一面観音立像を造ったという同じ縁起を有する寺が奈良の長谷寺と高島郡(現高島市)に建つ長谷寺である。

17・長谷寺の登り廊
奈良の長谷寺の登廊
この両寺院にも藤原不比等と房前が本尊建立や開基に深くかかわっており、この三寺院の縁起に流れる通奏低音(つうそうていおん)は現代のわれわれに何を語りかけようとしているのか、耳を澄ましてそのひそかごとを聴き分ける必要がある。

18・白蓮山長谷寺
滋賀県高島市の長谷寺
さらに、大津市の園城寺の寺門伝記補録に、境内に鎮座する三尾神社について、三尾里から漂着した大楠にのっていた三匹の子蛇が当社の祭神・三尾明神が化身したものであったと記されている。

19・園城寺内、三尾神社拝殿
園城寺境内の三尾神社拝殿
また、その補録には奈良の長谷寺縁起との関連も記述されており、園城寺も本尊の由来ということではないが、同じ根っこを持つ一連の霊木奇譚に因縁を有す寺院である。

20・園城寺仁王門
園城寺(三井寺)の仁王門
さらに仁王門を出たところに二つの塔頭がある。

21・仁王門と左に圓通寺・右に常楽寺
仁王門に向かって左が圓通寺、右が常楽寺
仁王門を出て右が讃岐33観音霊場の圓通寺である。

22・圓通寺本堂
圓通寺本堂
左手が自性院(常楽寺)である。境内に入ってすぐ右に苔むした古い墓石が立っている。江戸時代中期に活躍した志度出身の平賀源内の墓石である。

23・平賀源内の墓 常楽寺
平賀源内のお墓
そんなこんなで歌舞伎・謡曲などの舞台を目にし、豊かな伝承の世界にも身を浸すことのできる志度寺。
24・書院の甍と五重塔
志度寺書院の甍と五重塔
弘法大師にはまことに申し訳ないが、ちょっと霊場めぐりだけで拝観するのは惜しい、見どころ満載の八六番札所のお寺なのである。


2016年の白駒池(しらこまいけ)の紅葉は10月8日から10日の3連休が見ごろ

10月4日の白駒池(しらこまいけ)の紅葉である。

4の白駒池
2016年10月4日の白駒池の紅葉状況
今夏の猛暑や10月に入ってからの夏のような暑さのぶり返しなど1日の寒暖差も少ないため、紅葉自体の発色は今一つの感は否めぬところ。そこで、ちょっと写真を加工してみると・・・

3・幻想的・・・これも紅葉
幻想的・・・でも、少々やりすぎですね
そうはいいながら、まずは標高2115mの高地にある白駒池の10月4日の紅葉を写真にてご鑑賞のほどを。

4・きれいです黄葉
ここの辺りに紅葉が集中
手前の紅葉を少し入れてパチリ。

5・2016 SIRAKOMA
どうですか、この高揚感、いや、紅葉観・・・
ちょっと芸術的に撮ってみたのはいかがでしょうか。

6・白駒池もミラーレーク
どうです。この色合いは・・・
これなども好きな一枚です。

7・樹間の紅葉
樹間の紅葉もいい感じ
4日の紅葉状況から見て、この3連休が白駒池の紅葉の衣を鑑賞するにはもっとも手ごろな時期と判断した。

8・白駒池の紅葉
ミラーレークの紅葉
4日の昼過ぎも団体バスが2、3台やってきていたが、駐車場は待つことなしに入れた。

9・駐車場
広い駐車場が国道299号の両脇にあるが・・・
3連休はできたら朝早めに白駒池に到着するのがよい。相当な観光客が押し寄せることは間違いない。すると道路にたくさんの車が駐車するといった状況に。

 

日照が期待できたら、照葉紅葉に加えて、白駒池の小道を囲む原生林は苔類の緑の競演でわれわれの目を楽しませてくれるはず。

10・白駒池のコケ類
トウヒ、シラビソの樹木をおおう苔、苔、苔
日本蘚苔類学会からこの白駒の森は「日本の貴重なコケの森」に選定されている。なんと485種類ものコケ類に森がおおわれているというのである。
11・白駒の森を覆いつくす苔
まさにミドリの絨毯です
異常気象がつづく天候ではある。だからこそ、ひとときそんなことを忘れ、紅色と黄色にくわえてモスグリーンといった色彩の小世界に遊んでみてはいかが。



2016年9月、倦怠期に木屋町通りの「割烹やました」のランチは格別!

(当ブログの写真・記事等一切の転用を禁じます)

2014年、祇園祭の“割烹やました”で、涼をもとめる=京都グルメ(2014.8.13)
2013年・水無月の割烹“やました”、“あこう”の洗いで初夏の爽やかな音色を聴く=京都グルメ(2013.7.1)
割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)


割烹やました地図
割烹・やました

久しく、「割烹やました」をアップしていない。昨年の七夕の日に訪ねて以来、一年二か月ぶりの「やました」である。

1・押小路橋から割烹やましたを 2015年七夕の日
押小路橋から”やました”を(2015.7.7撮影)
今回は、初めて割烹やましたにお昼時に伺った。というのも、今回は帰京途中に京都で下車、今年、訪ねられていない「やました」にご挨拶をという主旨で立ち寄ったもの。

 

そして、「やました」でランチだけというのも気が引けたので、現在開催中の特別公開で目ぼしいところを訪ねようと足を向けたのが聖護院であった。

2・聖護院門跡山門と特別公開立看板
聖護院門跡の特別公開
その次第の聖護院特別公開については本家西尾八ッ橋本店の紹介の際に少し触れておいたので、ここでは省略する。

 

さて、「やました」との付き合いももう十数年になるが、お昼に伺ったのはなんと今回が初めてである。

この日は12時45分頃に店に到着。昼は2時迄の営業ということでそうのんびりとはできぬと早速に暖簾をくぐると、芹生君がいつもの大将の位置にいたのには、少々、驚いた。

3・芹生君、様になってます
芹生君、様になっている
と同時に、時間も遅めのお昼ということでお客さんもピークは過ぎたのだろう二組いらっしゃるのみで、夜の部のあの熱気を帯びた賑わいがないのにもちょっと戸惑いを覚えた。

 

板場のなかも見知らぬ新人二人が入り、二名増えて6人(大将を入れて)体制になっていた。新顔は熊谷君と竹田君、竹田君にいたってはまだひと月とのこと。胸元の名札がなんとも初々しい。

4・頑張れ、若者(左から熊谷・竹田両君)
やましたのニューフェース頑張る 左から熊谷君・竹田君
また、先輩の
部谷君が当日は焼き方に回っていた。みんなそれぞれが一流の板前への階段を一歩一歩、着実に昇っていっているのだと感じた光景である。

5・焼き方に配された部谷君
焼き方、頑張る部谷君
その部谷君をやさしく指導しているのが料理長の安達さん。安達さんとはこれまでなかなかゆっくり話をする機会がなかったが、その意味では「やました」の板前さんと心置きなく会話を交わしながら食事を楽しむには夜よりもお昼のほうが良いことをこの度知った。

6・安達春徳さん
苦み走ったいい漢、安達さん
ここ2、3年、「やました」の板場は戦場のようで少し離れた板前に話しかけるのもままならぬほどの盛況ぶり。最近では「やました」の評判は日本だけでなくネット検索で訪ねてくる外人観光客も増えるなど、すでにインターナショナルな存在である。

 

昨年もわれわれの隣はオーストラリアから初めて日本にやってきたご夫婦であったし、二年前も中国から一人でやってきた若い女性が大将の前に陣取るなど京都の料理屋もなるほど国際化の波に洗われているのだと感じたところであった。

 

そんななかで奮闘する安達さん。一見、こわもてで話しづらかったのだが、実際はずいぶんやさしい人物であることがこの日、分かった。名前は春徳と書いて、かずのりと読むのだそうで、「春日大社の“かず”ですというと、みなさん、あぁ」と納得してくれるのだと、強面から笑みをこぼし説明する姿はまさに板場の好漢と呼ぶのがふさわしい。

 

当日は山下の大将は不在とのことで挨拶ができずに残念であったが骨折した足の具合はもう大丈夫でゴルフも普通にされておられるとのことでまずは安心。下の写真は昨年の7月7日、七夕の節句に伺った時のものだが、スマフォを話題に楽しそうないつもの大将の写真をご挨拶代わりに掲載しておく。

19・スマフォで何を語る大将
スマフ片手に分からねぇなぁ・・・(2015.7.7撮影)
さて、「やました」のお昼はコースが主体であるようだが、当方、今年初めての「やました」である。いつも通りに旬のものを中心に好きなものをいただくこととした。いよいよ料理のスタート。手際よくいつも通りに先付が目の前に差し出された。

8・先付け
先付け
わたしはお昼であるにもかかわらずパブロフの犬よろしく流れ作業のように、「いつもの“桃の滴”を」と条件反射的に口走ってしまう。

9・桃のしずく
昼から桃の滴・・・
そして、家内と芹生君に念押しをするかのように、「二合だけでいい。今日は料理主体」と訊かれもせぬのに言い訳めいたことをいう。

 

そこで当日の料理は以下のごとくである。夜の部よりもバランスのとれたものとなったが、要は家内主導の注文となったということで多様な皿をたのしめることになった。

 

その当日のインパクトある一品は何といっても、鱧の薄造りである。

10・鱧の薄造り
初めていただく鱧の薄造り
一番脂の乗った秋鱧である。旨くないはずはないと、二重否定でほめるほどに絶品である。いつもいただく鱧の炙りも好みのひと品だが、こうして薄造りにした鱧を豪快に三切れほどひとつまみにして口に放り込むのも新たなる鱧食の悟りである。添えた酢橘は鱧にかけると身が白くなるので三杯酢ののぞきに滴らす方がよいというのでそうした。料理の見栄えは食の基本である、なるほどと納得した次第。


そして、グジ(甘鯛)もいつもは刺身でいただくところだが、鱧の薄造りをいただいたので、から揚げにしてもらった。

11・甘鯛のから揚げ
目先が変わる甘鯛のから揚げ
これもプリプリでおいしい。さらに、から揚げのおまけというのも変だが、グジの兜焼きがあとで出てきた。
と、思ったらのどぐろの塩焼きを頼んでいたのを思い出した。そういえば、「やはり、脂がのっておいしい」なんて会話しながら、身をほぐしては口に運んだっけ。芹生君、失礼!身の方の写真を失念。

12・甘鯛の兜焼き
のどぐろの塩焼き
これまたほっこりとして、さすが食材を吟味した“やました”の一品と報告しておこう。。

 

次に野菜の焚き合わせを頼むが、大ぶりの栗をトッピングして季節感を演出、湯葉や麩を添えて京都をアレンジした小品である。

13・野菜の焚き合わせ(穴子・小芋・栗・麩・湯葉)
京の季節感を味わう炊き合わせ
帆立と海老のしんじょうが目の前に。

14・蒸し物・ホタテとエビのしんじょう
しんじょう
これまたしっかりとした口触り。帆立など貝類大好きな家内の注文である。

そして、湯葉巻き。

15・湯葉巻き
見た目ですでにおいしい湯葉巻き
もちろんおいしかったが、この詰め物はそのとき訊いたはずだが、忘れてしまった。
16・湯葉巻きの詰め物
何はともあれ、何事もおいしければよい。

 

ほかに、皿の合間にちょちょっとサービスで出てくる“アテ”が何とも言えずうれしい。やましたならではの夜、もとい、ランチである。この椎茸、生椎茸をやましたで一週間ほど乾燥させてから戻すのだそうで、実はこれだけで十分に酒のアテにもなる手間をかけた一品で、ご飯のお伴にもなる優れものであった。

17・やましたで生から乾燥させて戻した肉厚な椎茸
アテに最高
また、このから揚げも鱧の皮であったか骨であったか? はたまたグジの始末の料理であったか失念したが、いつもながらのうれしい「やました」のサプライズであった。

18・つまみ
初めて経験した「やました」のランチ。そして、久しぶりに堪能したゆったりした「やました」の時間。

 

実のところ、「やました」での滞在時間はいつも他のお客よりずっと長っ尻である。これまで幾たびも看板後まで居続け、大将と語り合う時間がとれたものである。だが、ここ数年であろうか「やました」の名声が高まるにつれ、そうした独り占めの贅沢な時間に恵まれることがほとんどなくなってしまった。

楽しかったね
花島さんがいた2013年1月の板場
「やました」の評判が高まりいちフアンとしては大いに鼻を高くする反面、大将とサシで語り合う機会がめっきり減った一抹の寂しさがある。贔屓の客としては複雑な心境にあったことも正直なところである。

 

そんな矢先に初めてランチに訪れ、じっくり料理に舌鼓を打ち、心置きない板場との交流を深め、以前から流れていたのだというシャレた洋楽のBGMに耳を傾ける「やました」での粋なひと時。新鮮な発見、やましたを知ったころの初心に戻ったような貴重な一日であった。

 

この気持ちを表わすのに例えはちょっと適切ではないが、倦怠期にある夫婦が相手の本来持っている良さ、昔、好きだった長所を再発見、思い起こし、絆をより強くする。そういった感覚、心もちをよみがえらせてくれた2016年の「割烹やました」の格別のランチであった。



米大統領選 クリントンVSトランプの第一回TV討論は35:65でクリントンが勝った

11月8日の米大統領選の候補者、ヒラリー・クリントン氏(民主党)とドナルド・トランプ氏(共和党)が26日午後9時(日本時間27日午前10時)からニューヨーク州のHofstra University.NYにおいてTV討論を行った。

 

9時少し過ぎ、両候補者はディベート会場であるHofstra Universityに特設された壇上に登場、双方、握手を交わしたあとNBCテレビのニュース・アンカーであるレスター・ホルト氏の司会によりディベートがスタート。

 

最初のテーマは雇用問題など経済政策で始まり、TPPなどの貿易問題、人種差別問題、イラク問題や核拡散など安全保障の問題、NATO・日本・韓国などとの同盟関係の考え方、テロ対策、Birtherism(オバマ大統領はアメリカ生まれでないので大統領として不適格とする運動)、トランプ氏の納税問題などさまざまな分野,関心事において意見が戦わされた。

 

90分の予定時間であったが、討論は初回から白熱し、予定を8分超過しての終了となった。

 

雇用問題ではクリントン氏はインフラ投資の拡大により雇用を創出するとした。一方でトランプ氏は米企業の海外逃避の制限、メキシコからの関税不平等による雇用喪失などを例示し、減少を食い止めるといった話が中心で、このテーマは双方の話がすれ違う形でまずは互いの主張を述べあった。双方、落ち着いた対応で無難な滑り出しとなる。

 

次にNAFTAやTPPなどの貿易問題ではトランプ氏が実際の閣僚として務めたクリント氏に、TPP賛否について過去の発言のブレなどを指摘。クリントン氏も予想されたことでもあり、危なげない安定した対応であるが、トランプ氏が大統領になったら既存の枠組みを大きく変えることで雇用問題など別次元の展開が拓けるのではとの期待も少しうかがわせた。

 

ディベートの潮目が変わりだしたのが、アフリカ系やイスラム系米国人、有色人種に対するトランプ氏のこれまでの過激な差別発言が議論の俎上に上ってからである。

 

クリントン氏は過去および選挙期間中のトランプ氏の差別発言を具体的に指し示し、大統領としての資質、人としての資質について問題があると指摘。トランプ氏はここあたりから口調も早まり、コップに手を出し口を潤す場面が頻発。クリントン氏の口撃に話を少しずらした返答を繰り返し、最後には女性は妊娠するのでビジネスには不向きなどの過去の数々の女性蔑視発言をクリントン氏にあげつらわれ、一挙にディベートは守勢となる。

 

このテーマ以後はクリントン氏が整理された頭で各々のテーマに具体的かつ冷静に応答するのに対し、トランプ氏はその場しのぎで話しているように見えた。挙句の果てに、トランプ氏は「あなたはこのひと月ほど家にこもってこの討論会の準備に専念していた。その間、わたしは全米を巡り人々声を聴いて歩いた」とクリントン氏に発言。

 

これに対しクリントン氏は、「わたしは大統領になる準備をしっかりしていたのだ」と切り返した。

 

そして、「NATOは今では無用の長物、73%ものコストを米国が負担するなど金がかかり過ぎ」と発言するトランプ氏に対し、クリントン氏は「日本・韓国に核保有を促す発言をするなどNATOだけでなく同盟国に大きな不安を与えてきた、大統領になろうかという者は自分の発言の重み、言葉が世界におよぼす影響を真剣に考えて発言すべきである」と、まるでわがままし放題の放蕩息子を親が諭すような場面では、クリントン支持者たちは拍手喝采であったのではなかろうか。

 

このあたりから討論の最終までクリントン氏は冷静沈着にトランプ氏の口撃に対応し、懐の深さを演じきって見せた。

 

その逆にトランプ氏は各テーマが持つ大きな視点での議論展開がなく、自分が見聞きした些末とも見える事柄を具体例として持論を展開、問題がその一事に矮小化されてしまった感がある。そして、自身の納税問題に関し、「政府が他国を守るためなど多額の無駄遣いをしており、納税をしていないことは賢い判断である」と語った時には、これでトランプ氏は終わったと感じたが、討論終了後の退席時のぶら下がりインタビューでは、「当然、州税は払っている」と答えていたが、この問題は今後とも燻り続けるのではないかと感じた。

 

総じて、トランプ氏は明らかな準備不足であり、少々、ビジネス界での商売口上の上手さを過信し過ぎ、政治とビジネスとは大きな相違点があるという重要な事実を軽んじてきたトガが当夜の討論では随所で見受けられた。

 

結果、わたしの採点はクリントン氏65点に対しトランプ氏は35点となった。

 

CNNが直後に行ったHofstra UniversitySpin Roomでのコメンテーター(両陣営支持者が出席)の議論も当初は候補者のディベートの優劣について穏やかであった。しかし、クリントン氏が勝ったとの評価がその場を支配し始めると、トランプ派のコメンテーターが猛然と反発するなど、その姿はどこか新興宗教の熱烈な信徒のように見えて、やや不気味な印象を受けた。

 

CNNフロリダ州オーランドの投票先未定の選挙人を含めた視聴者22名を現地会場に招じていた。TV討論直後にその優劣を問うたが、クリントン氏勝利が16名、トランプ氏6名(クリントン氏 1:トランプ氏0・38)という結果であった。そのインタビューのなかで民主党支持の若い女性の発言が特に印象的であった。

 

民主党でサンダース議員をずっと指示してきて人物とのことであったが、クリントン氏ができぬことをトランプ氏が代わってやってくれると期待したが「大変がっかりした」と述べたのである。

 

また、討論終了直後のCNNTVによるボタンによるどちらに軍配をあげるかとの投票(ORC POLL)は、この調査に応えてくれる視聴者は民主党支持者が41%と共和党支持者を10%ほど上回っていることを前提(支持政党なしの人も3割ほどいるか?)に、この結果を見てもらいたいとして挙げた数字が以下の通りである。

 

クリントン氏62% トランプ氏27% (クリントン氏 1 に対しトランプ氏 0・44)

11%の人はどちらとも言えぬと回答したものであろう。(  )内は勝敗をはっきりさせた視聴者の中での比率。

 

わたしが討論直後に受けた印象はタイトルに掲げたごとく、クリントン氏65点、トランプ氏35点である(クリントン氏 1 に対しトランプ氏 0・54)。

 

ディベート直後の全米での評価は、オーランドやCNNの視聴者の調査からみれば、倍以上の差でクリントン氏が勝利したといっている。私の採点の方がもう少しトランプが頑張ったと考えたことになる。

 

直後の興奮状態のなかでのぶら下がりインタビューで、ある記者がトランプ氏に「今回のディベートで反省すべきところはありますか?」と質問を発したことが今日のすべてを物語っていたといえる。

 

TV討論は11月8日の本選挙に向けてあと二回開催される。予定は次の通り。

10月9日:第二回大統領候補者テレビ討論会(ミズーリ州)

10月19日:第三回大統領候補者テレビ討論会(ネバダ州)

 

トランプ氏陣営もこのままではまずいと感じたことは確かである。10月9日に向けて今度は万全の対応また反撃の妙手を繰り出してくることは必至である。今回はこれまで以上に我が国の安全保障に重大な影響を与える米大統領選挙である。次回のディベートを大きな関心を持って待つこととしたい。


“Creme de la Creme(クレーム・デ・ラ・クレーム)”の“京野菜シュー”が旨い=旅人の見た京都のお菓子

八ッ橋発祥の老舗・本家西尾八ッ橋の懐かしい味=旅人の見た京都のお菓子(2016.9.24)

霊験あらたかなる あぶり餅・一文字屋(別称 一和)=旅人の見た京都のお菓子2016.8.19

京都そば茶寮「澤正」の創作そば会席を試した2009.11.8


(当ブログの写真・記事等の無断転用を禁じます)
 

中京区烏丸竹屋町少将井町225   075−241−4547

お土産には京都駅新幹線構内店が便利

 

つい先ほどのブログで軽薄な時流には乗らない昭和20年代生まれのこだわりについて語った。その舌の根も乾かぬうちにとはこのことであるとわれながら少々気恥ずかしいが、なにせちょっと風変わりだがおいしいシュークリームを紹介せずにはいられないので、恥を忍んでここにアップする。

 

何しろ京都駅の新幹線構内のみやげ売り場で運命の出会いがあってからこのひと月、二度もこの京野菜シューを買い求め、舌鼓を打ったほどに要ははまってしまったわけである。

1・京都駅・新幹線構内土産売場
京都駅新幹線構内・みやげ売り場
「Creme de la Creme(クレーム・デ・ラ・クレーム)」は、創業140年の“そばぼうろの元祖”石田老舗(いしだろうほ)がプロデュースするシュークリーム専門店なのだそうだ。

 

以前、うかがった“そば茶寮の澤正”もそばぼうろの元祖を謳い、そばぼうろの商標登録もおこなっていたはずだが・・・。

2・そば茶寮澤正
京都東山区今熊野のそば茶寮・澤正
あぶり餅の一文字と飾り屋のように昔のこととて、今どきの知的財産権どうのこうのと目くじら立てるなんて、千年の都を自負する京都の方々にとって、「都に元祖はいくらあってもよろしゅおす」といった様子で、いかにも懐の深いところであると、お門違いの感心をしてしまう。

3・今宮神社東門前に二軒のあぶり餅屋
今宮神社参道に二軒のあぶり餅元祖の店が
さて、わたしが買ったのは京野菜シューの5個入りセットで1080円と値段も手ごろ。包装もずいぶんとお洒落で、簡単なお使い物にはもってこい。シュークリームの種類は4種類で白味噌だけが二つ入っている。

4・オシャレな京野菜シューセット
包装がお洒落で色合いもセンスがよい
包装もなかなかお洒落で凝っているが、中身、シューの中身のクリームの彩がまた何とも言えず美しく食欲をそそる。

5・前列左から京とまと・加茂なす・万願寺とうがらし
包装以上にこのクリームの色合いは見事
こうして、ナイフでちょっと半分に切って彩りを玩味してから口に入れるのも通というもの。そして、いよいよ、お味の方だが・・・。

 

わたしがこれは面白いとその風味にほれ込んだのは万願寺とうがらしシューである。

6・万願寺とうがらし・グリーン
グリーンの万願寺とうがらしシュー
とうがらしという名前からちょっと警戒気味に口に入れたが、さわやかな青味みの味が咥内にひろがり、大げさに言えばシュークリームというものの常識を打ち破った、革命的なシュークリームである。

7・万願寺とうがらし
もちろん、京野菜の風味をクリームに混ぜ込むという発想自体が革新的であることは確かだが、最もその狙いがきわだっているのが万願寺唐辛子であると感じた。

 

また、京トマトの薄いピンクもひと口口にしてクリームの色を目にしたところで、なんといえぬトマトの味が鼻腔に届いてくるようで、これまた素晴らしい。

8・京とまと・薄ピンク
薄ピンクの京とまとシュー
トマトのもちろん臭みなどなく、口内にほのかにトマトの甘みが隠し味のように仄かな香りをただよわす。

9・京とまと
紫色が加茂なすである。

10・賀茂なす
そもそも茄子の匂いというものが薄弱であるため、これは色合いを楽しみつつおいしいクリームを堪能すればよい。

11・賀茂なす・紫
パープルの加茂なすシュー
京の白味噌は一風変わったシュークリームである。

12・かわいらしいシュークリーム・京の白味噌
京の白味噌シュー
見た目、外観からはもちろん分からないが、口にしてクリームのそこに下地が入っていて、ここに白味噌が含浸されているようである。

13・白味噌には中に下地があります
クリームと底のシュー皮の間に味噌を含浸させたパン生地が
なかなか手の込んだ仕事をしていて、これまた唸るしかない。目でも口でも楽しめる京野菜シュー、秀逸である。
14・目でも楽しめる京野菜シュー
たのしいシュークリーム
人数によって10個入りや16個入りが選べ、しかも季節によって丹後の大黒豆の紫ずきんや鹿ケ谷かぼちゃや丹波栗といった品ぞろえもあって、お土産としては目先も変わり場を盛り上げるのは請け合いの京のお菓子、お土産である。


八ッ橋発祥の老舗・本家西尾八ッ橋の懐かしい味=旅人の見た京都のお菓子

(当ブログの写真・記事等の無断転用を禁じます。) 
       
                          住所:京都市左京区 聖護院西町7  ☎ 075−761−0131

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月10日からはじまった聖護院門跡特別公開(2016月12月18日まで)を拝観した。

1・聖護院特別公開
聖護院門跡の山門
宸殿の襖に描かれた狩野永納・益信ら狩野派の障壁画130面を一挙に見ることができた。大玄関の老松の障壁画にまず度肝を抜かれ、つづいて宸殿の各間を飾る襖絵はどれも豪華で、その巧みな筆致には圧倒される。

2・聖護院・大玄関
大玄関・正面に老松の障壁画
また、当寺は修験道・山伏の総本山でもあり、拝観時には本堂の手前廊下で法螺貝を試みに吹かせてくれたが、予想した通りプッという音すらでなかった。そして、ご本尊の不動明王像を間近で拝ませていただき、満足の体で聖護院を後にした。

 

さて、聖護院は実は今を去ること50年弱前、高校の修学旅行の宿泊させてもらったところである。当時はそれはもう部屋の襖を指で押すと隣の間に倒れ込むといった古ぼけた宿、宿坊?であったが、いまは御殿荘の名前の通り御殿のような立派な建物へと変貌を遂げていた。

3・宿泊施設・御殿荘
境内の御殿荘 昔は暗くてふる〜い建物だったような・・・
なるほど私が高齢者の仲間入りを果たすわけだ、時間は確実に流れていることを実感させられた瞬間であった。そんな感慨に耽りながら寺域をでると、そこに聖護院八ッ橋の総本店の大きな暖簾が目に入った。

4・聖護院八ッ橋総本店・暖簾
聖護院八ッ橋総本店
そして、ここ20余年八ッ橋を口にしていないことに気づき、買い求めたいと店内に入った。道路上に修学旅行生がちらほらしていたが、なかに入ってみるとショーケースの前は若者の熱気と歓声で息苦しいほど。

5・修学旅行生でいっぱいの店内
若者の熱気がいっぱいの聖護院八ッ橋店内
最近は修学旅行も贅沢になり、少人数単位でタクシーに分乗し洛中を駆け巡っている。帰りに乗ったタクシーの運転手さんの話では、昼食の場所も生徒たちの求めに応じ案内するのだとか。

 

最近の子はアレルギー症が多く、食事のお店選びも神経を使うのだそうで、昔の先生と比べたら今の先生は丸投げできるので本当に楽ですよと溜め息交じりにいっておられたのが印象的であった。

 

そんな修学旅行の学生でいっぱいの聖護院八ッ橋をわたしたちはスルーすることにして、斜め前にあるここが八ッ橋発祥の正真正銘の老舗なのだと、店構えもいかにもといった格式を感じさせる本家西尾八ッ橋本店の暖簾をくぐることにした。

6・本家西尾八ッ橋・本店
歴史を感じさせる店構え さすが老舗!!
店内はしっとりと落ち着いた造りで、店内左手に置かれた聖護院門跡から譲り受けた大門扉や酒井雄哉大阿闍梨の書が目に入る。

7・聖護院から譲られた大門扉と酒井雄哉阿闍梨の書
大門扉と大阿闍梨の書
「江戸時代から八ッ橋やと言えば、西尾だったのです」とHPで謳うだけの歴史と風格を自然と感じさせる。

店員さんの話では聖護院八ッ橋さんはいまの若い人向けに様々な現代的な味の八ッ橋を販売しているそうで、西尾の方は種類はそんなに多くはなく、どちらかというと昔風のものが主体ですとのことであった。なるほど、レモン餡入りの“聖涼レモン”とかさくら餡の“櫻花”とか餡の種類も多彩で季節感たっぷりに若い人向けのネーミングも見事ではある。

8・昔ながらの八ッ橋が幅を利かすショーケース
昔ながらの堅焼き八ッ橋が幅を利かすショーケース
しかし、高齢者への仲間入りを果たしたわれわれ昭和20年代生まれの人間がそんな軟派な時流に乗るわけにはいかない。50年弱前に買って帰った堅焼きせんべいのようなあの八ッ橋とニッキ味とせいぜい抹茶味の二種類の生八ッ橋をここ老舗・西尾で求めたという次第である。

 

帰京後、同年代の家内の友人たちに西尾の八ッ橋をお茶請けにお出しした。

9・ニッキの硬い八ッ橋と生八ッ橋
西尾の堅焼きの八ッ橋とニッキ味の生八ッ橋
みなさん、堅焼きの八ッ橋の方をみて異口同音に「あら、なつかしい」とおっしゃる。

10・ニッキと抹茶の生八ッ橋
抹茶味とニッキ味の生八ッ橋
わたしはすかさず「歯を折らないように」と、なんとも失礼なひと言を発してしまった。あぁ、後の祭り、口は禍の元と頭を低くすること暫しであった。

 

菓子をひと口、それで一挙に数十年の時代を飛び越え、各々の思い出を蘇えさせる魔法の菓子・八ッ橋。

11・昔ながらの堅い八ッ橋
修学旅行のお土産、こんなんだったかなぁ
たまには阿闍梨餅ばかりでなく、話題作りに京土産として購入されてみてはいかがであろう。懐かしい青春の匂い、ニッキの味があなたを一足飛びにお肌ツルツルの世界へといざなってくれるはず・・・。

 

最後に八橋の名の由来であるが、WIKIPEDIAによれば、「箏曲の祖・八橋検校を偲び箏の形を模したことに由来するとする説と『伊勢物語』第九段「かきつばた」の舞台「三河国八橋」にちなむとする説がある」と書いてあった。

 

そこでわたしの新説であるが、仙洞御所の南池に架かる角々とした八橋の形がいかにも堅焼きせんべいの形そっくりで、京のみやびを思えば、その方が似合っていると思うのだがいかがであろうか。

12・仙洞御所の八橋
仙洞御所南池の八橋
中国の庭園にはこの八橋形式の橋が多くみられるのだが、角々と橋を曲げることで真っすぐにしか進めぬ邪鬼を通せん坊するためだという。

 

八ッ橋をひと口、口にすれば邪鬼を追っ払うことができるという謳い文句で宣伝したら、久々の八ッ橋ブーム到来ってなことにならないだろうか。そんなわらべのような夢想にひたらせてくれた本家西尾の八ッ橋であった。



メルヘン街道沿いのランチ 懐石料理・“たてしな藍”はいかが=蓼科グルメ 37

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じさせていただきます)


茅野市蓼科高原横谷峡  ☎ 0266-67-5030


本来、“たてしな藍”は藍染と懐石料理のお宿で有名である。

1・藍染の暖簾がかかる入口門
藍染の暖簾がかかる”たてしな藍”の門

しかし、われわれは宿客ではなく、今回もお食事のみをたのしみにいった。前日までの予約を必要とするが、宿泊がなくともお料理のみでも対応をしていただける。


20年ほど前に伺ったきりで長い無沙汰をしていた“たてしな藍”に「もう一度、行ってみたいね」と語り合いながらもだらだらと月日が流れてしまった。

2・たてしな庵の宿玄関
たてしな藍の宿泊処・玄関

猛暑の東京を逃げ出して、パン工房での作業に従事する娘のお盆休みも兼ねて、今回は別荘でのんびりとと思ってお店の予約もほとんど取らずに蓼科へ向かった。


しかし、やっぱり食いしん坊のわたしたち。今日のお昼はどうしようかと迷ったその日、家内が藍はどうかとの提案があった。スマフォでHPを開けると、食事のみでも可とあったが、前日までに予約が必要との注意書き。電話だけでもと連絡したところ、ちょっと確認しますといってしばらくして大丈夫ですとの回答。当方、お昼にありつけたと胸を撫でおろし、早速、“たてしな藍”へ直行。

3・メルヘン街道沿いの”たてしな藍”駐車場
メルヘン街道沿いに、”たてしな藍”駐車場

駐車場へ車を止め、あぁ、こんな風だったなと思い出しながらその風情のある門をくぐる。

4・たてしな藍の門
この門内が”たてしな藍”

淡い木漏れ日を落としてゆるやかにのぼる石段がつづいている。

5・木漏れ日を落とす石段
木漏れ日を落とす石段

突き当りのところで、石段が左右に分かれていた。

6・石段の突き当り
石段の右手に”たてしな藍”の宿、左手に食事処・山味庵

案内を見ると右手が宿の“たてしな藍”となっていた。

7・たてしな藍・宿
たてしな藍・宿の玄関

そして、左手が本日予約の食事処の“山味庵”である。

8・山味庵
山味庵玄関

20余年前に夜の懐石で伺ったときは、確か右手の旅館の大広間に通され、藍染の衝立で仕切られた座卓で懐石料理をいただいた記憶がよみがえった。山味庵なる別棟の食事処など当時はなかったのではないかと思う。


早速、山味庵に入り名前を告げると、こちらですと館内を案内された。

9・山味庵の個室へ
落ち着いた館内

途中には“酒厨ちろり”なる宿泊客用のおしゃれな館内バーもある。

10・酒厨ちろり
酒厨・ちろり

そして、左手奥にあるひとつの個室に通された。最近、よく見受けられる張りぼての安っぽい和室ではなく、しっかりとした漆喰壁の本格的な造りであった。

11・個室食事処
当日のランチの個室

その個室の前で右手を見ると、まだ、多様な個室があることがわかった。

12・個室もいろいろあります
多彩な個室が用意されている

当日は四季の昼懐石3,900円(税・サービス料込み4,633円)のコースであった。他に5000円(同5,940円)のコースがあったが、われわれには3,900円のコースでちょうど良い量であり、質であった。


メニューは以下の通りである。

小鉢 もろこし豆腐 万願寺唐辛子

13・小鉢・もろこし豆腐

椀 鱧の葛打ち 梅肉 茗荷 木の芽

14・椀・鱧の葛打ち
蓼科で鱧 これも粋!

造里 信州サーモン混布〆 豆乳豆腐 妻一式

15・お造り・信州サーモンの混布〆と豆乳豆腐
信州サーモン 脂がのって美味しかった

焼物 信州福美鶏の朴葉焼き

16・信州福美鶏の朴葉焼き  17・福美鶏
朴葉焼き                信州福美鶏

煮物 高原の野菜炊合せ 海老のそぼろ餡かけ

18・高原野菜炊合せに海老そぼろ餡かけ

ご飯 とろろご飯 香の物の二種盛り

19・とろろご飯
とろご飯おいしかったです

水菓子 葛きり 白玉団子 黒蜜

20・葛きり・白玉団子に黒蜜かけ
葛きり、なかなでした・・・

とろろご飯の前にすでにわたしのお腹はいっぱいでご飯を遠慮しようと思ったが、目の前で茶碗にトロロが掛けられるのを見たら、無性にご飯が食べたくなって箸をつけた。


料理のお味はあっさり味で、若い人には量とともに味も少し物足りないかもしれない。しかし、ダイエット目標を確実に達成し続けている娘も量はこれで満足。また、血圧が少し高めの家内もダイエットもかねて良質ともに十分に満足。


そして、高血圧症で、かつ再び、お腹のふくらみが気になりだしたメタボ軍団再加入の危機にあるわたしには、味も量も十分すぎるほどであった。


リゾート地の個室でいただける懐石料理、値段を考えるとコスパ最高の、しかも雰囲気最高のお店であったのだと認識しなおした一日であった。

館内照明もセンスがよい
落ち着いた照明

こうして20数年ぶりに蓼科で味わった懐石料理。三人とも大満足の態で緑陰の小道を帰路についた。

緑陰を帰路につく
緑陰の小道をおりてゆく・・・

たまにはこうした雰囲気で避暑地の時間を過ごすのも目先が変わっていいんじゃないのかな・・・と思わせた大人びた空間であり、静謐なる小世界であった。

猛暑の八月、北八ヶ岳ロープウェイで天空の坪庭(ピラタスの丘)に涼む

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じさせていただきます)


昔は冬、ピラタススキー場、夏はピラタスの丘、あるいは坪庭と呼んでいた場所である。

1・チロル風のロープウェイ乗り場です
北八ヶ岳ロープウェイ乗車口

現在は、夏場は坪庭、冬はピラタス蓼科スノーリゾートと呼ばなければいけないらしい。

2・北八ヶ岳ロープウェイ乗り場
スイスに来たみたい

その懐かしいピラタスの丘に涼を求めて娘と家内と3名で定員100名という大きなロープウェイで標高2237mの高所にある山頂駅まで登っていく。

3・1北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅
山麓駅に停まるロープウェイ

この北八ヶ岳ロープウェイはふもとの山麓駅(標高1771m)から八ヶ岳連峰のひとつ北八ヶ岳を構成する北横岳(標高2472m)と縞枯山(標高2403m)の鞍部に広がる通称坪庭と呼ばれる平坦地を結ぶロープウェイである。

3・ロープウェイ

この日、行き違うロープエェイからいくつもの紅葉のような手が振られていた。夏休みであることを実感する。また、ロープウェイからの景色は天気とも相まって、さすがに痛快であった。

4・ロープウェイからの景色
2016年8月、素晴らしい景観です

そして、右手に広がる縞枯(しまがれ)山の縞枯現象を目にするが、その自然のメカニズムはまだ解明されていないという非常に珍しいものである。

5・縞枯れ山 縞枯れ現象
縞枯現象

この現象は山全体が枯れ木の山になっていくのとは異なり、年々、山腹の縞枯れのエリアが移動してゆき、山自体、山林はずっと生き続けてゆくのだというから奥深い自然の営みのひとつといってよい。


実際に、30余年前に見ていた縞枯山の緑の比率は変わっていないと言い切ってよく、景観に大きな変化は認められない。


また、運がいいと鹿やニホンカモシカをロープウェイから認めることができるが、この日はその幸運には恵まれなかった。そんな興味満載の搭乗もわずか7分ほどで山頂駅に到着する。

6・北八ヶ岳ロープウェイ山頂駅
山頂駅

山頂の温度は真夏の昼間で20度前後、朝夕は10度を下回ることもあるという。この日は寒いと感じるほどではなかったが、ヒンヤリとした涼風が坪庭を吹き抜けてゆくのがわかる。そして、山頂駅からすぐに雄大な坪庭の景観が見渡せた。

7・1坪庭の全景 前方の高台が溶岩台地
山頂駅からの坪庭の景色

この不思議な景観は八ヶ岳最後の噴火で出来た溶岩台地ということだが、すり鉢状になった目の前の場所は平坦地になっており、山上に突如、天空の草原があらわれたようなそんな奇妙な感覚にとらわれる。

7・天空の草原
天空の高原

ここに溶岩台地をめぐる周回コースの散策路が整備されている。一周約1000m 所要時間約30〜40分で廻ることができる。


平坦地をのんびりと歩いてゆくと、溶岩台地へ登る急な石段にぶちあたる。初めてではないとはいえ、足の不自由なわたしである、ちょっと気合を入れて最初の一歩を踏み出す。

8・最初、急な石段があります
溶岩台地へ急登です

杖を片手に足元に注意しながらゆっくりと登って行く。手すりがつけられているので思ったよりは楽な急登? 日本百名山一筆書きの田中陽希さんじゃあるまいし・・・であった。

9・第一休憩所まであと少し
あと一息で第一休憩所

登り切った先に第一休憩所があるが、その直前の路端に赤い実をつけたかわいいクロマメノキを見つけた、いや、家内が見つけてくれた。こちらは急登で足先を見つめることで精一杯の状況であるのだから。

10・クロマメノキ
クロマメノキ

その少し先にあざやかな黄色の花を咲かせたキリンソウが咲いている・・・と教えられる。

11・キリンソウ(麒麟草)
キリンソウ

荒涼たる溶岩の瓦礫のすみに隠れるようにして咲く可憐な高山植物。その生命力、自然の営みのたくましさに心底、頭が下がる瞬間である。


ようやっと第一休憩所に到着する。あぁ、そこからの展望は絶景である。

12・第一休憩所からの景観
なかなかな絶景です

急坂の疲れをここで癒し、いよいよ溶岩台地へと足を踏み入れる。

13・坪庭に広がる溶岩台地
太古の落とし物・・・

太古に山頂に噴出した溶岩が露出し転がっているそのさまは不気味で、怪異とすらいってもよい。そんなとき、大きな奇岩が目の前をふさぐように屹立している。

14・1奇岩もいっぱい
ポンピドー美術館でもお目にかかれぬアヴァンギャルド

生半可なアヴァンギャルドよりも数段、前衛的な自然の彫刻である。

そして、溶岩台地には這松(はいまつ)が叢生しており、その中の周遊路をさらに進んでいく。

14・這松(ハイマツ)と溶岩のなかをゆく
這松を分けて歩く感じ

視界いっぱいに多彩な溶岩が飛び込んでくるが、これが早朝であったとすると、人っ子一人いなかったとすると・・・と考えると、背筋が凍るような寒々とした情景である。遠くに見える縞枯れが一層、その気持ちを募らせるのである。

15・太古の溶岩が山頂に広がる 遠くに縞枯れ現象
まさに溶岩台地、遠くに縞枯現象

そんな這松以外に生き物の息遣いを感じることができぬ天空の世界をテクテク歩いていく。その心中の思いとは裏腹に吹き渡る真夏の風はことのほか頬にやさしい。

16・溶岩台地を歩く
瓦礫のなかを歩くよう・・・

しばらくして、ようやくというか溶岩台地を後にする木製階段に到達する。

17・溶岩台地から階段で下の木道に出ます
急勾配だが木製階段がしっかりしているので安心

この下りも急勾配であるが、手すりも整備されたしっかりとした階段であり、ここはゆっくりと下りれば何の問題もない。


下の木道を歩き出すと、すぐに薄桃色のハクサンフウロの花をわたしが見つけた。

18・ハクサンフウロ
今年もよろしく・・・ハクサンフウロ

大好きな高原の花である。目に飛び込んでくるのだろう。すると、すぐ先にシナノオトギリソウという黄色い花が見えてきた。

19・シナノオトギリソウ
シナノオトギリソウ

溶岩台地の荒涼たる色彩世界のなかから生還した身には、黄色という色は活力にあふれた命をイメージさせることに気付いた。標高2237mの散策路の路端には命の賛歌を歌うようにいろいろな草花が目立ってくる。緑の草のなかに小さな白いオダマキの花を見つけた。

20・白いオダマキ
白いオダマキの花

次にくっきりとした黄色が目立っている金露梅は自然と目に飛び込んでくる。

21・キンロバイ(金露梅)
目立ちたがり屋の金露梅

すると、えっ? ワレモコウが咲いているではないか。ここはもうとっくに秋が舞い降りてきていることを知らされる。

22・もうワレモコウが咲いていました
ワレモコウがもう咲いている

今年もはや夏が過ぎようとしているのだ・・・光陰矢の如し・・・

物忘れ、新しい知識欲の減衰・・・老化の兆候が色濃く迫って来たわが身に、この花はなんじゃ? 名前も知らぬ花である・・・

23・この花は?
あなたの名前は?

調べる気力とて欠乏したわたしである。誰か教えてくだされ・・・


足弱な娘と麻痺をかかえるわたしを伴い、一人元気な家内との坪庭散策も約50分で無事、終了、下山の運びとなった。

24・定員100名の北八ヶ岳ロープウェイ
下界に戻ります

足早にロープウェイに乗り込み、山麓駅という俗界へとまたわが身を沈めに降りて行った。山麓駅の建物内は広く、軽食が可能な大きなスペースやTシャツなど衣類や特産のコケモモジャムやドレッシングなど豊富な食材もお土産として展示されている。

25・ロープウェイ改札口へ お土産もたくさんあります
品ぞろえ豊富なショップです

あっという間に世俗の垢に染まったわたしと娘は、コケモモ・ミックスソフトクリームなる悪魔の誘いにいとも簡単にからめとられ、ご覧のようなおいしそうな写真のものを手に、いや、口に入れたのである。

26・苔桃ミックスソフトクリーム
濃厚なミルク味のバニラにコケモモの酸味がほどよくてオイシイ!
コケモモのフルーツソースと胡桃味噌
コケモモのフルーツソースと胡桃味噌を土産に買いました

そして、隣接する蓼科アミューズメント水族館を20年ぶりで訪ねてみた。

27・蓼科アミューズメント水族館
蓼科アミューズメント水族館

これだけ高地にある水族館も珍しい。そして、すべて淡水魚の水族館である。

28・高原に泳ぐ熱帯魚
魚種も豊富な水族館です
真夏でもさわやかなここ蓼科で、熱帯魚観賞もまぁこれはこれで乙なものだと、館内をゆっくり廻って、俗世から天空の浄地へ、そしてまた、下界の日常に戻っていった短くも奥の深い真夏の一日を過ごした。2016年の夏もあと少しで終焉を迎える。


2016年祇園祭・後祭で大船鉾を見た 山鉾巡行一挙掲載!!

2014年祇園祭・山鉾巡行前祭(さきまつり)に興じる(2014.7.21)

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じます)


当ブログ、最近の記事は食う、喰う、食べるばかり、ここで少し伝統文化の話題でも。

2014年に初めて祇園祭を宵々山から堪能したことは2014年7月のブログに記載した。

その時、その年から半世紀ぶりに復活した後祭のためお目当ての山鉾巡行が従来の33基から前祭としての23基のみの見物となり、残念であった旨を記した。

1・後祭の山鉾ミニチュア
京都駅に展示された後祭の山鉾ミニチュア

そこで、今年は7月24日の後祭の10基の山鉾巡行、しかも150年ぶりに復活した大船鉾を見ることを楽しみに京都へやってきた。

2・大船鉾ミニチュア
大船鉾のミニチュア

後祭の山鉾巡行コ−スは17日に行われた前祭とは逆に、烏丸御池を東に向かってスタートし四条烏丸までのコースとなる。われわれは河原町御池の交差点に陣取り、巡行の行列を見物した。

3・河原町御池交差点
河原町御池の交差点 もうすぐ山鉾がやって来る

9時半に烏丸御池を出立し、予定では10時ころから順次、山鉾がわれわれの目の前で辻回しをやりながら通過することになっていた。


10時きっかり、時間通りに後祭巡行のトップバッターである橋弁慶山がやってきた。

4・10時に舁山(かきやま)橋弁慶山が来た
舁山・橋弁慶山がくじ取らずのトップバッター

後祭には舁山(かきやま)が7基巡行するが、この橋弁慶山は“くじ取らず”といって、毎年行われる巡行順番のくじを引くことなく、常にこの順位で巡行することをゆるされている町である。

5・五條の大橋の弁慶・牛若丸 橋弁慶山
五條の橋の弁慶・牛若丸

その代表的なものが祇園祭(前祭)の象徴的な鉾で必ず先頭で巡行する長刀鉾である。

6・祇園祭の象徴でもある長刀鉾
祇園祭の象徴、長刀鉾(2014年前祭)

その“くじ取らず”の山鉾が、後祭においては一番・橋弁慶山、2番・北観音山、6番南観音山、10番大船鉾の四基となっている。


ここで祇園祭をより楽しむための豆知識をひとつ。


祇園祭には山鉾33基が巡行するが、その内訳は鉾が10基、山が23基となっている。

鉾と山の違いだが、鉾は原則、屋根に真木という長い鉾を立てており、その頂きの鉾頭が疫病神を吸い取ると古来、信じられてきたという。鉾は2階建てでお囃子衆がのるほどの大型のものである。


山は鉾のかわりに真松と呼ばれる松の木をいただく。三基の曳山を除いては大型のものはない。

山は曳山と舁山にわかれるが、曳山が字義どおりに人々が綱を引き曳行し、そのため大きな車輪を有す。

また舁山は昔は人々が担いでいたが、近年は小さな車輪をつけて押して巡行する。曳山は前祭の岩戸山、後祭の北観音山・南観音山の三基のみで、残りが舁山20基となっている。


橋弁慶山につづいて飾り屋根を付けた曳山の北観音山が河原町御池の交差点へ入ってきた。

7・真松を立てた北観音山(曳山)
曳山・北観音山

一見すると鉾に見えるが、江戸時代後期・天保四年に山に飾り屋根をつけたのだという。堂々とした山である。そして、ここでこの大きな北観音山の力技、辻回しがある。

8・割竹を敷き、水を撒き、辻回し
辻回しの為の割竹を敷く

道に割竹を敷き、水を撒く。この上に大きな車輪を乗り上げ、人力で引っ張り九〇度の方向転換をするのだ。

9・力が入る辻回し
音頭取りが一斉に掛け声

曳山の先頭にのる音頭取りが扇を振り、声を振り絞って、辻回しに気合を入れる。9トンもの曳山がゆっくりと方向を変える。三回で90度まわせば普通。二度で回せば山鉾に負担はかかるが素晴らしい。四回は何をやっているんだ ( `―´)ということだと、沿道の通の人が教えてくれた。


そして、3回で無事辻回しを終えた北観音山はゆっくりと河原町通りを南下していった。

10・北観音山・辻回しが終わり、川町通りへ
これから河原町通りを四条河原町へ向かう

次に登場したのはかわいらしい浄妙山である。

11・舁山・浄妙山
浄妙山がやって来た

宇治川橋の合戦で繰り広げられた筒井浄妙と一来法師の先陣争いを題材とした人形が山を飾る。一来法師が浄妙の頭上を跳びこす様子や橋の欄干に幾本も刺さる矢がリアルである。

12・筒井浄妙の頭上を跳ぶ一来法師
宙を跳ぶ一来法師 宇治川の先陣争い

4番目に入ってきたのは役行者山である。

13・舁山 役行者山
舁山の役行者山が来た

修験道の祖である役小角をモチーフであることから法螺を吹く山伏たちが先導役を務める、京のビル街の辻に法螺貝のぶぉ〜という音が響き渡る。

14・法螺貝を吹きながら山伏が先導する
山を先導する山伏たち

山には左から一言主神、役行者、葛城神と人形がならぶ。

15・左から一言主神、役行者、葛城神
左から一言主神、役行者(洞の中)、葛城神

山が軽いこともあるが、辻回しを3回か4回行なうと、観衆から歓声と大きな拍手が起こった。担ぎ手に若い人が多いと小さな山でも見せ場はある。

16・役行者山の辻回し
拍手喝さいだった役行者山の辻回し

次に登場したのが黒主山。

17・舁山・黒主山
黒主山

六歌仙の一人、大伴黒主が桜の花を愛でる姿が山に載っている。

18・桜を仰ぎ見る大伴黒主
大伴黒主が桜を仰ぎ見る

そして、回数が少なく単調で、期待外れであった辻回しを終えた黒主山が河原町通りに入っていった。

19・黒主山の辻回し
ちょっと期待外れな辻回し

六番目に進んできたのが、曳山の南観音山。

20・曳山・南観音山
迫力のある南観音山

この南観音山は“下り観音山”と呼ばれ、“上り観音山”の北観音山と対となる曳山である。曳山の象徴である飾り屋根を備えた山はいかにも威風堂々の登場であった。

21・かざり屋根を付けた曳山・南観音山
曳山はやはりイイ!!

前後祭に祇園祭が別れるまでは、南観音山が巡行の最後を飾っていた格の高い?曳山である。お囃子衆がコンチキチンを奏でながら、辻回しを終えて、南下していく。

22・お囃子衆が乗る曳山
多くのお囃子衆が載る南観音山

7番目は鈴鹿山。

23・鈴鹿山
どこか静々と鈴鹿山が登場

瀬織津姫命の伝説をモチーフとした山で山鉾のなかで唯一の美女像となっている。

24・ご神体・瀬織津姫
ちょっと鳥居が邪魔だが、瀬織津姫である

ご神体人形の瀬織津姫命が山に立っている。

25・南観音山の後を追う鈴鹿山
鈴鹿山も河原町通りへ

次に八幡山が交差点へ入ってきた。

26・八幡山が入ってくる
八幡山

この山は神社の祠そのものを山に置くという大変変わった山である。石清水八幡宮から三条町へ勧請され、町内に祭られている八幡さまを祇園祭の山鉾巡行の日に限り、この山に遷座しお祀りしている。

27・遷座した金色の八幡宮
金色の祠である

云ってみれば、神社そのものを巡行させていることになる。山に置かれた八幡様が鎮座する祠は金色に輝いている。



後祭の巡行もいよいよ終盤。巡行9番目の鯉山がやってきた。

28・鯉山が登場
後祭巡行も9番目の鯉山はやって来た

黄河の難所、龍門の急流を登りきった鯉は龍となるという中国の故事をモチーフとしている。

全長1・5mになる木彫りの鯉は名工左甚五郎の作と伝えられている。

29・左甚五郎作と伝わる木彫りの鯉
傳左甚五郎作の木彫りの鯉

鯉山が河原町通りをゆっくりと南下していく後姿を眺めていると、沿道の観客からひときわ高い歓声が沸いた。

30・河原町通りを下る鯉山
鯉山も南へ下っていく

いよいよ後祭の殿(しんがり)を務める大船鉾の登場である。

31・大船鉾がやってきた
どよめきとともに登場する大船鉾

船鉾はそもそも、前祭の船鉾が神功皇后の新羅征伐にむけ出陣するさまを描き、後祭の船鉾は新羅から凱旋してくる船を表しており、二つの船鉾で物語として完結する形となっているという。

32・四条河原町で辻回しをする前祭の船鉾
2014年の前祭・四条河原町での船鉾の辻回し

幕末の禁門の変で焼失した大船鉾が150年ぶりに復活し、前後の祭りで古来の形式に復した姿を見物するが今回の大きな目的の一つであった。



われわれは大船鉾が復活した2014年、前祭の巡行を見物した翌日、くぎを一切使わず木と縄だけで鉾を組み立てる“縄がらみ”という技法を大船鉾の保存会・四条町で見学していた。

33・2014年大船鉾の鉾建て
2014年の大船鉾の鉾建て 地元TV局も取材

その年は舳先を飾る龍頭は未だ完成を見ておらず、この2016年に初めて大船鉾の舳先に龍頭が飾られるという。それもまた、楽しみであった。

34・大船鉾の登場
いよいよ目の前に大船鉾が・・・

目の前に現れた大船鉾は堂々としてまさに凱旋船と呼ぶに値する豪華さであった。

35・威風堂々の大船鉾
ワクワクするほどの大船鉾の威容である

その舳先を大きな龍がまた、見事というしかない。

36・舳先に龍頭
今年初めて取り付けられた見事な龍頭

保存会ではこの大船鉾の復興は引き続き継続されるのだという。

37・素晴らしい龍頭
白木の龍頭

見ての通り、まだ白木の部分が多く、この先数百年にわたり維持保存していくには漆塗りが必要とのことで、募金活動等今後も完全復活に向けた努力がなされてゆくという。

38・河原町通りを下る大船鉾
2016年祇園祭の後祭、山鉾巡行の見納め
大船鉾が川町通りに下がってゆくと、沿道の観客の群れが大きく崩れたが、後祭はこの後に花傘巡行が続くことを遠来の観光客はあまりご存じない様だ。10分もしないうちにその花傘巡行がやってきたが、その模様は次稿に譲りたい。


霊験あらたかなる あぶり餅・一文字屋(別称 一和)=旅人の見た京都のお菓子

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じます)
京都市北区紫野今宮町69番地  ☎ 492−6852


あぶり餅が食べたくて今宮神社へ参拝した。

1・今宮神社拝殿に一和とかざり屋の提灯
今宮神社拝殿に献灯された”かざり屋”と”一和”の提灯

もとい、今宮神社は疫病除けのやすらい人形の奉納ができるし、この近くで生まれた徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院(通称、お玉)にあやかり玉の輿にのれるというご利益も盛んな霊験あらたかなる神社なのであった。

0・疫病除けの人形を奉納
今宮神社の自分の名前を書き奉納する”やすらい人形(ひとがた)”

そんな今宮神社へ参拝したご褒美にあぶり餅の“一文字屋和輔”こと“一和”に立ち寄った。

2・右に一文字屋 左 かざり屋
右が”一文字屋” 左が”かざり屋” 奥に今宮神社東門

当店でいただいた略伝によれば、

3・一文字屋
一文字屋の略伝表紙

一条天皇(在位 寛和2年−寛弘8年)の御代に疫病が蔓延。正歴5年(西暦994年)、今宮神社で御霊会を執り行うとひと時おさまったものの、長保2年(西暦1000年)に再び流行。そこで、今度は“やすらい祭”を当社で行なうと疫病がたちまち終息したという。

4・一文字屋略傳
阿ぶり餅の由来

その“やすらい祭“で神前に供えたられたものが、当寺、香隆寺(現在の上品蓮台寺)の名物である“おかちん(阿ぶり餅)”で、初代一文字屋和助が作り、今宮神社の神前に供えたのが、この一文字屋のあぶり餅の始まりであると伝えられている。

5・上品蓮台寺(香隆寺)
京の三大風葬地のひとつ蓮台野にある上品蓮台寺(昔の香隆寺)

都人は疫病を避けようと当社のご利益を求め、こぞって今宮神社へ参詣すると、そのあぶり餅を持ち帰り、家人に分与し疫病を逃れたのだという。

その後、千利休がこの餅を茶菓がわりに用い、爾来、千家の御用達となっているとのこと。

6・一文字・あぶり餅
炭火で焼かれた一文字屋のあぶり餅

そんな所縁を訊くとこのあぶり餅、たかが餅というのも畏れ多い千年の物語をもった何ともゆかしいお菓子なのである。

そのあぶり餅、疫病除けの御利益以外に、俗姓をお玉と呼ばれた桂昌院にあやかり玉のような餅を食べるとお玉(桂昌院)のように玉の輿にのれるご利益があるとのことで、とくに若い女性の間で人気がうなぎ上りになったとか。

00・お玉の井を横から
今宮神社境内に桂昌院から寄進された”お玉の井”が現存

そのご利益は、参道を挟んで店を構える“かざり屋”さんでもあぶり餅をいただけるので、どちらの店が御利益があるか試してみられるのも一興。

7・あぶり餅 かざりや
こちらは創業四百年のかざり屋

その“かざり屋”は創業は四百年前の寛永14年(1637年)にさかのぼるこれまた古い、ふる〜いお店である。

かざり屋・財規への玄関
かざり屋の座敷への玄関

この度、われわれが訪ねた“一文字屋”さんこと“一和”さんが、源氏物語が書き起こされた時代に産声を上げたという“初代一文字屋和助”のお店であった。

8・一文字屋・いち和の暖簾
創業千年の一文字屋こと一和の暖簾

わたしは10年ほど前に、参道をはさんで店を構える“かざり屋”さんでこのあぶり餅をいただいたが、家内は今を去ること四十年ほど前、花も恥じらうお年頃にこの一文字屋さんでいただいたのだという。

9・奥に座敷 手前は今も使用する井戸
一文字屋の奥に座敷席 手前は現在も使用される創業時からの井戸

巷間、「一文字屋さんとかざり屋さん、どっちがおいしい?」、「わたしはかざり屋」、「いやわたしは一文字屋」とかいうやり取りが結構、交わされているようだが、これはその人の好みですなというしかない。


わたしが10年前に食べたかざり屋の味と今回の一文字屋(いち和)の味を10年越しに比較するのもはなはだ非科学的なことは承知の上で申し上げるが、白味噌の甘みが勝っている一文字屋の方が今のわたしはおいしいと感じた。

10・甘い白味噌が香ばしいあぶり餅
甘い白味噌だれがおいしい

ただ、両店の味は一子相伝のものといわれているので、味が一応、不変であると仮定すると、この10年余で甘いものに異様な執着心をよせるようになったわたしが変わってしまい、甘みが少し強い一文字がおいしいと感じたということであろう。

11・今宮神社東門前に二軒のあぶり餅屋
参道をはさみ一文字屋(右)とかざり屋

京都通、あぶり餅通の友人にご意見をたまわると言下に、「エッ? かざり屋がおいしいでしょう」とのたまう。

家内は40余年前との比較のこととて、「どっちもおいしいんじゃない」と、大人の対応。

12・今宮神社出てすぐ
今宮神社東門から一文字屋とかざり屋を

まぁ、紫野今宮神社名物の阿ぶり餅、神社参詣の折には是非、立ち寄られたらいかがでしょうか。

13・右の石灯篭の先に一文字
今宮神社参道に一文字屋、かざり屋はある

一文字屋、かざり屋ともに一人前五百円で、値段は同じです。あぶり餅のハシゴをして、「わたし、やっぱり、かざり屋」、「一文字屋のあぶりは香ばしくって、超ウマ!」なんて、ちょっと京都通ぶってみるのもどうですか。


祇園祭の夜、美山荘若女将ご贔屓の“リストランテ キメラ”でディナー

(ブログ「彦左の正眼」内の写真等一切のコンテンツの転用を禁じます)

泊ってみたい宿=摘み草料理の美山荘(2013.10.23)

東山区祇園町南側504 電話:075-525-4466


祇園祭の後祭を楽しんだ翌日、八坂神社の南楼門から100m、料亭「祇園畑中」に隣接するイタリアン 「リストランテ キメラ(CHIMERA」を初めて訪ねた。

1・八坂神社・南楼門と鳥居  2・祇園畑中の隣にキメラ
八坂神社南楼門と鳥居          祇園畑中とキメラ看板

美山荘の若女将に以前、ここで結婚記念日に食事をしてとてもよかったと教えられていた。

3・母屋へ入る若女将
美山荘母屋と若女将

京料理もよいが、たまには違った料理もと、今回は、家内がこのキメラを提案した。

思い立ったが吉日と6月の頭に電話を入れたが、予約はひと月前からということで、6月の末にリザーブし直して伺った。

4・祇園祭のキメラ
イタリアン・キメラ玄関にも祇園祭のお神酒貼付が

当夜は一万円のコースをお願いしていたが、料理の内容は当然として、食事の間中サーブされたスタッフの対応も、実は最後にお名刺をいただき支配人の小池聡貴氏であったのだが、申し分ないもので、一見の客であるにも関わらず細々とした当方の質問にも丁寧に答えて下さり、二人とも大満足の夜を過ごすことができた。

5・テーブル・セッティング
キメラのテーブルセッティング

なるほど美山荘の若女将ご贔屓のお店だけはあると感心したものである。

6・店内  7・畑中の楓を借景にした店内
二階店内のテーブル             窓外は祇園畑中の楓を借景

それでは料理の紹介に入っていこう。ディナーの内容は写真を見ていただけると、その味も伝わってくるのではないかと思う。


使用される器もそれぞれこだわりをもったもので、料理にかなったなかなかに客の目を楽しませてくれる味わい深いものであった。

8・おしゃれなインテリア  9・店内の様子
インテリアもシンプル             二階の様子

また、料理のサーブ、ワインのサーブも非常にスマートで、われわれは食事がスタートしてものの10分もしたころには、キメラの常連客のような気分で口にナイフを運び、ワインを喉に流し込んでいた。

10・本日のワイン 重めのものを頼みました     11・すぐれもののナイフ&フォーク
重めの赤ワインを注文             凝ったナイフとフォーク

料理の内容は次の通りだが、初めてみる食材もあって、根掘り葉掘り問いただすなど、まぁ、退屈しないとてもおしゃれな時間を過ごした。


スターターがなんと三つに輪切りにされた鮎を盛りつけた鮎のコンフィ。

12・鮎が立つコンフィ
鮎のコンフィ 鮎が立つ・・・

おどり串を打たれた鮎の塩焼きになれたわたしどもにキメラのこのプレゼンテーションは目新しく、また、小骨の多い鮎のコンフィという調理法も骨ごと食べられるなど目新しさ満点の一品である。


オードブルも多彩で楽しい。オマールエビやトウモロコシのジェラート、生ハム。

13・オードブル
真中にトウモロコシのジェラート 玉蜀黍の葉が印象的

生ハムがおいしいというと、「本日の生ハムはこれですよ」とテーブルにその塊を持ってきて目でも楽しませてくれる。

14・本日の生ハム
迫力の生ハム

そして、次なるものが初めて食べる逸品である。イタリアのキノコの王様といわれる“ポルチーニ”と温度卵、芽キャベツにキノコから作り出した泡(フォンデュ・ソースというのだそうだ)をトッピングしたすぐれもの。

15・泡はキノコ・ポルチーニ
これでも結構なボリュームです

周りを囲んでいるのが“ポルチーニ”なるキノコである。一見、お肉のように見えた。キャベツのなかにとろりとした温度卵が隠れている。(下の写真、クリックで拡大)

16・泡はキノコのフォンデュソース  17・中身は温泉卵
この泡を見てください             中は温度卵です

そして、ポルチーニって、どんな茸なのと訊いたところ、早速、お持ちいただいたのが次なる写真。

18・イタリアのキノコの王様”ポルチーニ”
キノコの王様、ポルチーニ

なるほど松茸ではないが、果肉が分厚く、いかにもおいしそう。


続いてパスタが二種類サーブされるが、事前に量の確認がされた。そこで、われわれは当然、少な目でよいと頼む。実際に家内はその少量のパスタも失礼して少し残すこととなった。


一品目がバジリコ味のパスタに京の夏を代表する食材・炙り活鱧と九条葱をあしらい、イタリアの唐墨(からすみ)をすりおろし漆黒の容器に粉雪のように舞わせる。

19・鱧をあしらったバジリジョコ味のパスタ
この色彩・・・パスタ料理です

その様はその色彩効果は秀逸で一幅の絵画を見るようでもある。料理とは味のみにあらず、色彩、器、料理への寸言など総体的な芸術であることをまさに実感、視感したひと時である。

20・炙り鱧にパスタ
抜かりなく鱧の炙りがのっています

二品目がバジリコ豚のベーコンをトッピングしたトランペットキノコ入りのチーズパスタである。

21・イベリコ豚のベーコン とトランペットキノコ チーズパスタ
ガラスの器に盛られたパスタ

二品目はテーブル脇でガラスの器へ取り分けしてくれるが、このパフォーマンスもなかなか見物で、大切な人とのディナーの雰囲気を盛り上げるのには最高であった。

22・パフォーマンスで火がつけられたのですが・・・
この前に火があがるパフォーマンスが・・・

写真は実はタイミングが遅れてしまい、チーズから火があがった一瞬をとらえることができず何の変哲もないものとなった。

23・スマフォとチーズ
チーズの真中にパスタが スマフォの大きさと比較してみて

鮮やかな手さばきを披露された小池さんにはまことに申し訳ない次第とあいなった。家内に冷やかされることといったら・・・。でも、このチーズの器?大きかった。スマフォを横に置いて、ちょっと大きさを表現しました。


そんな笑いのなかでディナーもいよいよメイン料理に。


鴨肉のローストである。亀岡で飼育されたスコットランド種の鴨ということであった。

24・メイン料理・鴨のロースト
本日のメイン 鴨のロースト

鴨の上に森永のキャラメルのように乗っているのが、フォアグラである。まぁ、なんとも贅沢な。南瓜のスライスが添えられているが、これ、“鈴かぼちゃ”というのだそうだ。生のままで食べるので、サクッとした食感でなるほど夏向きの食材である。

25・ディナーも残り少なに
そろそろディナーも終わりです・・・

ディナーもさて、残り少なに、デザートへと到着。

わたしがココナツミルクにマンゴとパッションフルーツ。

26・マンゴ・パッションフルーツ・ココナツミルク
捻じれた容器なので、ひねって映しました

家内はオーソドックスにマスカットにバニラアイスとラズベリーシャーベット。

27・デザート
いたってオーソドックス

これでようやく終了と思いきや、とどめのデザートがサプライズで供された。次なる写真である。

28・とどめのデザート
これって、正直、ビックリ おいしかった

いやはや、プリティー・・・な〆である。


旅人にとって、祇園祭に京料理ももちろんよいが、八坂神社の隣にあるキメラでイタリアンというのもこれはこれで祇園祭の趣もあった。このキメラ、一階にはグランドピアノが置かれ、ミニコンサートも開催されている。

29・一階ではプチコンサートも
コンサート聴いてみたい

また、その横にはウォークイン・ワインセラーがドンと構えており、エントランスからして洛外の夷人はある意味、窮屈でもある京都らしさから開放される。

30・1階にあるウォークイン・ワインセラー
りっぱなワインセラーです

祇園祭の夜、RISTORANTE ITALIANO CHIMERA キメラで過ごした時間、

ほんによろしゅうおしたへ。いちど、おたずねやす・・・


なお、今後、当ブログの写真の無断転用を禁じます。最近、マナー違反のブロガーが多いため無粋な注意書きをせざるを得ない状況となりました。


 



 



 


 




 


 



 


智舟さんはどこ? 女人高野・室生寺で探そう

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じます)

ポケモンGOが日本全国を大騒動の渦中に巻き込んでいた7月下旬、38年前の新婚旅行で訪ねたきりの奈良桜井市の室生寺を参拝した。

1・室生寺
太鼓橋と室生寺表門

そこで、ピカチュウならぬレアもののポケモンに遭遇したので、ご紹介することにする。ポケモンの名前は智舟(チシュウ)さんといって、タイプは親切、さわやか、人なつっこいといったもので、対峙する参詣客や観光客を一瞬にして虜にするなかなかの優れものキャラである。

2・奥の院にて・智舟さん
室生寺の智舟(ちしゅう)さん

当日、長谷寺から廻ってきたわれわれ夫婦は太鼓橋を渡って、“?”

3・室生川上流から太鼓橋を
室生川に架かる太鼓橋・右手が室生寺表門

楼門をくぐっても“ハテナ”・・・ 38年前の光景、記憶は呼び戻されない。

4・楼門・新緑と朱
楼門(仁王門)

鎧坂を登り始め、かすかにこの広い石段、見覚えがあるかなといった程度。

でも、こんな手すりがあったかな・・・記憶にない

5・鎧坂
鎧坂・頂上に金堂が見える

石段を登りつめた先。石垣の上に国宝の金堂。う〜ん、見たことがあるような。

6・金堂正面
国宝 金堂

その手前左手に弥勒堂がある。

7・弥勒堂
弥勒堂 正面に弥勒菩薩・右に釈迦如来

お賽銭をあげ、お参りする。ご本尊の小さな弥勒菩薩の右手の仏像にどこか見覚えが・・・

8・室生寺弥勒堂・重文 弥勒菩薩立像
重文・弥勒菩薩立像(室生寺絵葉書より)

一木造りの釈迦如来坐像で、国宝なのだと堂内の僧侶が親切に説明してくれた。ここで、記憶がフラッシュバック。

「このお堂の中に50年近く前に入ったことがある」というと、

「その頃は堂内に入って間近に仏さまが拝めていた」との返答。


中学か高校の修学旅行でこの仏さまの前に正座し、一木造りのお釈迦様を仰ぎ見たことを思い出した。

9・室生寺弥勒堂・国宝 釈迦如来坐像
国宝・釈迦如来坐像(室生寺絵葉書より)

漣波(レンパ)式の衣の襞(衣紋)の今にも微風にたなびきそうな繊細な彫り、さらに左足を右太ももにのせた半結跏趺坐(ハンカフザ)の足の裏に浮き出た木目の美しさに目を奪われた遠い昔の一瞬の感動が蘇った。


それを家内に伝えたが、修学旅行で室生寺は訪ねていないとのことで、わたし一人がこの弥勒堂で盛り上がる。二人の時の記憶がないわたしが恨めしい。


次に国宝・金堂をお参り。正面の榧(カヤ)の一木造りの国宝、釈迦如来立像ほか素晴らしい仏像群を拝観。

10・金堂
国宝 金堂

ここでも堂内の僧侶から詳しい説明が。釈迦如来と薬師如来の間の隙間から帝釈天曼陀羅と呼ばれる国宝の板絵が見えると教えられ、目を凝らす。縦に隙間分だけの彩色しか見えぬが、普通では気が付かぬことゆえ有難味がわく。

11・室生寺金堂・国宝 釈迦如来立像
国宝・釈迦如来立像(室生寺絵葉書より)

さすが女人高野、どこもやさしいねと二人して満足。

さらに本堂、五重塔へと石段を登っていった先、石段10段ほどの高みに国宝の本堂(灌頂堂)が見える。

12・本堂を右斜めから
国宝・本堂

楓の新緑を手前に配し、軒先を反らせた檜皮葺・入母屋造の姿態は室生の空に今にも羽ばたいていく霊鳥のように見えた。そこで燈明を灯し、光明真言を唱える。

13・本堂と新緑
国宝 本堂(灌頂堂)

次にいよいよ日本最小の五重塔へ向かう。2年前に京都・南山城の海住山寺(カイジュウセンジ)で見た五重塔が日本で下から二番目で、最小は室生寺なのだと知った。

14・本堂前から海住山寺の五重塔
海住山寺・五重塔

その可愛らしい国宝の五重塔は平成10年9月22日、台風7号の直撃を受け、樹齢600年の杉の巨木が倒れ込み、損壊した。その修復なった姿がどんなものかと恐る恐る見上げた。

15・38年前の室生寺五重塔 (905x1280)
38年まえの五重塔

あぁ〜美しい。38年前、どこか幽玄の美を醸す景観に二人して吐息をついた記憶が鮮やかに呼び起された。

17・室生寺・五重塔
修復なった室生寺五重塔

そして、一見、二見、どこがどう壊れたのかわからぬ。当世の宮大工の匠の技に感服仕切りである。だから、損壊・修復したといえども国宝のままなのだそうだ。

17・修復後の五重塔
女人高野にふさわしい可憐な五重塔

塔左奥に損壊の元凶たる杉の古株が残っていた。切り株といっても家内の身長を越える高さで、室(ムロ)は大人二人がゆっくり入れるほどの大きさである。よくぞ五重塔が全壊しなかったとこの古株を目にして思ったものである。

18・五重塔を損壊した樹齢600年の杉の切り株
大きな杉の切り株

それで、ポケモン、いや、智舟さんはどないしたんやということだが・・・


実は、室生寺を訪ねる参拝客はこの五重塔を見上げたところで、大体は回れ右して拝観を終了する。38年前のわれわれもそうであった。


しかし、室生寺の真骨頂はこれから400段も続く急こう配の石段を登った先の奥の院にあったのだと、われわれは38年ぶりに知らされることになるのである。

19・奥の院登り口・左はℍ10に倒れた樹齢600年の杉の切り株
奥の院上り口・手前左に杉の切り株

われわれは今回挑戦しなければ、これから体力は衰えるばかりで奥の院を目にすることはもうなかろうと語り合った。


ただその決意や良としても、このわたしがこの先の石段を踏破できるか、それが大問題である。そこで途中で名誉の転進もありとの調停案がまとまった。それでは突撃あるのみと室生の山懐深く分け入った。

20・奥の院への参道
奥の院参道には鉄柵(夜は施錠)

これまでの参道とは明らかに周りの雰囲気、景観が異なる。勇断を早くも後悔し始めるわたしである。

21・朱塗りの無明橋へ
石段先に朱色の無明橋

朱塗りの無明橋を渡った先の階段を見上げた。気が遠くなるとはこのこと。

天空まで続いていると見紛う急こう配な石段。

22・天空へ続く急勾配の参道
ず〜っと石段が・・・

見れば、両脇に心ばかりの手すりがついている。ままよ、だめならリタイアだと最後の蛮勇を振り絞り、死の登攀を開始。


不甲斐ないが、ハァハァ、ヨイショヨイショと無意識に声が漏れる。頭から額から滝のごとく汗が流れ落ちる。

そして、見えてきた懸け造りの建物。あれはなんだ。奥の院にあんな大きな建物があるのか。

23・遠くに懸け造りの建物が
遠くに懸け造りが見えた

エベレスト登頂者の気持ちとはこんなものかと思いつつ、少しずつ大きくなる懸け造りを心の支えに、ゼイゼイと息を吐きながら一段、一段、歩を進める。

24・奥の院も間近
ようやく懸け造りの下に

そして、最後の階段。

25・奥の院へ最後の石段
この上が奥の院

頂上制覇である。

26・常燈堂下から400段の石段を見下ろす
この急勾配を登ってきた・・・

天界は想像した以上に光芒に満ち、きれいに整地された空間であった。

27・奥の院
陽光でまぶしい奥の院

頂上踏破の感慨にふける余裕もないままただただホッとして、納経所横の休憩所にへたり込む。

28・奥の院・納経所
納経所と休憩所

一方の家内は登攀の疲れも見せずに納経所で何やら言葉を交わしている。

29・納経所から石段降り口を
納経所から参道下り口を見る

一息ついて懸け造りの常燈(位牌)堂へ向かおうとすると、ポケモン?いや、一人の若いお坊さんがにこやかに近づいてきた。

  30・常灯(位牌)堂
常燈(位牌)堂

この後、下山して、かき氷を食べた橋本屋という旅館で、とても好印象のお坊さんに巡り逢えたことを話すと、

橋本屋  31・橋本屋のかき氷
橋本屋旅館と対面の食事処のかき氷

「それは智舟さんに違いない」と即答。奥の院で撮った写真をお見せすると、

「そう、この人が智舟さん」と、彼がいかに参拝客の間で好感をもたれているか、お参りに来られたお客さんはみなさん、いいお坊さんにお会いできたと喜んで帰られるのだという人物である。


その日、われわれは智舟さんから心尽くしの説明を受けた。大師堂は宝形(方形)造りで、上空から屋根を見ると正方形なのだとか。

32・板葺き二段屋根の宝形造り 御影(大師)堂
板葺き二段屋根の宝形造りの大師堂

その上にのる石の露盤と宝珠はひとつの岩から掘り出したもので大変珍しいと。

33・一枚石から掘り出した露盤と宝珠
一体の石で出来た露盤と宝珠

また、その奥の岩山に立つ七重石塔。

34・諸仏出現の岩盤の立つ七重石塔
岩山の上に七重石塔

室生山に諸仏が出現した場所故に七重の石塔を建て祀っているのだとよどみなく説明を重ねる。

35・七重石塔
七重の石塔

そして、大師堂を背景に「お二人の写真をお撮りしましょう」と言われた際にはびっくり。お坊さんがそこまで親切にしてくれた経験がなかったのである。我が家の居間には早速、その写真が飾られている。

36・智舟さんと大師堂を背景に
智舟さんと記念写真

お位牌がずらっと並んだ常燈堂は、遺骨の喉仏を納骨すればどなたでも永代供養して頂けるとの話もうかがった。


さらに懸け造りの回廊へ向かうと、そこでも二人の写真を撮ってくれた。奥の院にわれわれ夫婦だけだったとはいえ、このおもてなしは望外の喜びである。

37・常燈堂回廊から見る山
常燈堂回廊からの景観

聖地における思い出はこれからの二人の語らいに度々登場し、この日、奥の院で見上げた青い空に吹き渡る涼風を想起させてくれるに違いない。

38・奥の院の空
奥の院真上の空

二人の心にこれから先、室生寺の薫風を届けてくれる智舟さん。その日は奥の院におられたが、ある時は本堂に、また、ある時は別のところにと居場所はかわるのだと橋本屋はいう。


室生山に棲むというポケモン、いや、無量の風の薫りをあなたに届けてくれる智舟さんを探しに“智舟さんGO”と、室生寺へ急ごうではないか!!


今日から八月、錦織圭が頑張った早朝、六輪もの朝顔が咲いた!!

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1・太陽が差し込まぬ間のひと時

朝顔が咲いた・・・

今朝はATP1000イリーズのロジャーズカップ2016の決勝戦。

5時半に起きて、錦織圭選手とジョコビッチ戦の第一セットの第8ゲームからのテレビ観戦。第一セットは6−3で敗退。


そして、第二セットに入ってブレイクを許すも、すぐにチャンスをものにし、取り返す。なかなかの好ゲームで、錦織圭もジョコビッチをいらつかせる場面も出て、あと一息というところで、ジョコにワンブレイクアップを許し、惜しくも敗退。

2・上にも二輪の朝顔が・・・
上にも二輪の朝顔・・・

ちょっと前はジョコビッチとの対戦は、相当の力の差があると感じていたものが、今日、の第二セットのゲームはジョコ攻略も射程圏内に入ってきたと思わせるショット、ラリーが随所に見受けられた。

3・ここにも一輪
ここにも一輪・・・

早起きした甲斐はあったと窓外を見やると、朝顔のグリーンカーテンに紫の花がいくつも咲いているのが目に飛び込んできた。

4・朝顔、咲いた
たくさんの朝顔が・・・

数えてみると六輪の花が咲いている。こんなに一度に咲いたのを見たのは初めてだねと家内と話しながら、写真を撮った。


・・・もう今年も八月・・・月日が経つのは本当に早いねと語り合った盛夏のさわやかな朝である。



鳥越俊太郎、各局テレビに物申す!!週刊文春・「女子大生淫行」疑惑記事

7月21日発売の週刊文春で、『鳥越俊太郎都知事候補 「女子大生淫行」疑惑 被害女性の夫が怒りの告白』との記事が掲載されている。


週刊誌を読まぬわたしもつい、文春のWEBサイトで確認した。すると、冒頭のタイトルの下に、次のように書かれていた。


「君の誕生日パーティーをしよう」。キスの経験もない20歳の大学生を富士山麓の別荘に誘い込んだ鳥越氏は二人きりになると豹変したという。都知事候補の資質を問う。」


この疑惑自体は14、5年前のことのようで、当時評判の月刊誌「噂の真相」にも掲載されたとのことで、一部ではよく知られた話なのだという。


わたしは週刊誌を買ってまで記事を読もうとは思わない。ただ、人気バンド「ゲスの極み乙女」のボーカル川谷絵音との不倫を暴かれたベッキーと鳥越氏との立場は根本的に異なっており、こうした応酬があるという事実を選挙民に伝える必要はあると考える。


甘利経産大臣の金銭授受問題や育児休暇取得で脚光を浴びた金子恵美衆議院議員の夫・宮崎衆議院議員の不倫報道などスクープを連発している文春の記事である。耳目が集まるのも不思議はない。


しかし、テレビ各局が永田町ネタの甘利、宮崎問題につき連日報道を繰り返し、ベッキー不倫でもこれでもかというほどに面白おかしく伝え(さすがにベッキー不倫はNHKはなかったかな)、舛添要一にいたっては記者会見の実況を、都度、流し続けるなどしたことを思い起こすと、今回、テレビ各局が示し合わせたように沈黙を守っていることは異様である。


現在がまさに都知事選挙の真っ最中であり、公職選挙法に抵触する恐れがあるとの判断が働いているであろうことは推測はできる。
実際に7月21日、週刊文春は鳥越氏の弁護団により名誉毀損と公職選挙法違反の疑いで東京地検に告訴された。

選挙期間中、各候補者に対する報道は公平であるべきである。しかし、実際問題として21人もの候補者が立った都知事選で公平を期すといっても、そこは良識の範囲で報道をしていくことで対応していくしかないし、現実に各TV局もそうした方針のように見受けられるし、国民もそこは目くじらを立てる気持ちもない。

ただ、本件が非常におかしな報道姿勢に見えるのは、選挙民が知るべき重要な事実を伝えることをテレビ局が放棄している、いや、わざと最近流行りの“報道しない自由の権利”の行使をしているように思えてならないのである。

わたしは鳥越俊太郎都知事候補の女性淫行を事実として伝えろと言っているのではない。民放テレビ各局とは異なり、入念な取材をもとに記事にし(たと言われている)、それなりの果実を獲得してきた昨今の週刊文春である。

その週刊誌が「都知事候補の女性淫行疑惑を報じた」ということは重い事実である。
そして、その記事に対し、候補者の弁護団が刑事告訴をしたことも事実である。

ただでさえ都政の政策を具体的に語らぬ候補であり、その是非が判断できぬ。まずはこの二つの事実を伝えることは選挙期間中であるからこそ必要なのだと考える。選挙民にとって、この人物が都知事としての資質があるか否かを判断するうえでの重要な情報のひとつとなるからである。

わたしも民放テレビをかじりつくほど観ることはない。ただ、TBSの情報バラエティ“ひるおび”はちょうど昼食時でもあり、NHKニュースのあとによく視聴する。

また、日テレの情報ライブ“ミヤネ屋”も舛添問題など事実確認をしたい時などは、都知事会見の実況中継をしておりずいぶんと重宝する番組である。

そんなテレビ各局もこの鳥越問題については一度は報道したのかも知れないが、先の甘利・宮崎・ベッキー・舛添の電波の使用時間に比較し、雲泥の差、先の例の扱いと比べれば一切、報道してない、意図的に無視しているに等しい。これが与党候補者の疑惑であったら、またジャーナリスト出身者でない候補者であったら、民放各局はどんな対応をしたのであろうか。

そんな鳥越都知事候補の女性疑惑、下卑た興味から申し上げるのではない。

まさに文春がタイトル下のキャッチで「都知事候補の資質を問う」と述べているように、そうした疑惑があるのであれば、事実無根だと告訴をしたのであるから、これまでジャーナリストと称してきた、そして、政治家として立候補した鳥越俊太郎なる人物は自らの口、言葉で選挙民の前でちゃんとした情報開示をし、説明を堂々とするべきなのである。

一方で、それを避けまくる鳥越候補に対し、なぜしないのだともっと詰め寄り、それにも応じないジャーナリストとも思えぬ男に、テレビ各社はしつこくテレビ画面で訴えるべきなのだ。

21日、街頭演説を終えた鳥越候補に取材陣がコメントを求めても、「私の法的代理人である弁護士に一任している」とのみ言い残し、逃げるように去っていったというではないか。

これが都知事を目指すジャーナリスト出身の政治家だといえようか。

そして、この文春記事について、「(この時期にこの記事が発表されたことには)何か政治的な大きな力が働いたと感じたと発言したことにつき数度の記者の問いかけに対してはジャーナリストと称する人物としては驚くべき答えが返ってきたのである。

理由は何もありません。僕のです。私は51年間この仕事をしてきて、直感をいつでも働かしながら仕事をしてきたので、直感である程度そういうことはあるかもしれないなと思った次第」

そして、極め付けが続くひと言。

それは何も事実があるわけではありませんので、こういう事実があるからこうだというつもりは全くない
と、言ってのけたと新聞は伝える。

いやはやもう呆れるしかないというより、この男はこれまでよくぞ言論の世界で曲がりなりにも生きて来られたな、それほど日本の言論界、ジャーナリズムは低レベル、大甘なのかとまさに開いた口がふさがらないとはこのことだが、こうした発言、自分が触れられたくない問題についての対応のあり方などが、リーダーたる資質を判断するに際しての大切な要素なのである。

こうした視点で今回の問題をとらえた時、テレビ各局が日ごろ国民の知る権利だと声高に叫ぶその知る権利とはいったい何を指しているのか、誰に伝えるために知らなければならぬのか。自分たちにとって都合の悪いことは報じたくない、調べない、追及しないでは、その知る権利、報道の自由といった居丈高に叫ばれる言葉は鴻毛のごとく軽く、あまりにも虚しい。

わたしはかねてから我が国のジャーナリズムのレベルの酷さ、身内にごく甘の体質はことあるごとに一刀両断してきたところである。

しかし、これはひどい、このレベルはひどすぎる。ジャーナリストとして51年やってきたと豪語する鳥越俊太郎という人物然り。この女子大生淫行疑惑の週刊誌・候補者双方の応酬を伝えぬテレビ局然りである。

また、これが野党四党の自信をもって推薦した候補かと思うと、参院選の一人区で相応の効果があったとされる政策合意なき野党連携もあまりにお粗末、はや馬脚をあらわしたのだと断じるほかない。



泊まってみたい宿 日光金谷ホテル

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ある親しい方から日光金谷ホテルは一度、泊まってみられる価値があるとかねてご推奨をいただいていた。

1・金谷ホテル外観
日光金谷ホテル・本館

また、独身時代に全国を旅してまわった家内も、なぜか日光を訪ねたことがなく、一度、連れて行ってといわれていて、なんと38年が過ぎてしまった。もちろん、とうにしびれを切らした家内は「日光に行かずして結構ということなかれ」で、ご近所の友人らと数年前だったか訪れていた。


しかし、その時は旦那どもをほったらかしにした科により華厳の滝が濃霧のためでまったく見ることができなかったという。


ということで、急きょ金谷ホテルへ泊まりに行こうと何故か話がまとまり、ホテルに予約を入れ、あれよあれよとあいなった次第。


日光金谷ホテルは西洋人相手に明治6年に創業された現存するもっとも古いクラシックホテルということである。

2・本館エントランス
本館・エントランス

現本館がその当時の様子を多く伝え、洋式造りの建物となっている。

3・レセプションで百年前のスタンドが現役で使われている
レセプションで現役の百年前のスタンド

今回、私たちが宿泊した別館は昭和10年に建てられたもので、唐破風造り、木造三階建の和のテーストを凝らした外観となっている。

4・金谷ホテル別館
唐破風の別館

入口の両柱には尾長鶏の木鼻をあしらえ、柱に沿い長い尾っぽを浮き彫りにしているなどその造作には多大な財力と匠の技が投じられている。

5・唐破風の柱には尾長鶏の木鼻、柱には長い尾が掘り出されている
唐破風下の木鼻は尾長鶏・尾が柱に浮し彫

そのためこの別館にはヘレンケラーや昭和天皇もご宿泊になったのだという。


もちろん客室はリゾートホテルということで洋式に統一され、スチーム暖房やアンティークなバスタブなど古き良き時代の香りが満ちている。

6・懐かしいスチーム暖房
部屋にはスチーム暖房

昨今の機能性重視やアメニティグッズの充実といったシティホテルに慣れた人間には少々、戸惑いもあることは仕方のないところ。


何を隠そう、このわたしはこの旧式の、いや、格調高いバスタブはやはり落ち着かなかったことは正直に白状しよう。

7・バスタブもアンティーク
まさにアンティークなバスタブ

しかし、本館二階のダイニングルームでのディナーはさすが日光金谷ホテル、圧巻であった。

8・ダイニングルーム
ダイニングルーム

当夜のメニューは以下の通り。

9・家内のメニュー  10・私のメニュー

家内が熟成子羊のポワレ、わたしは“特製日光虹鱒ディナー”にした。

15・熟成子羊のポワレ
熟成子羊のポワレ

オードブルやサラダは洒落ていて過不足がない。金谷ホテルの料理を先に総括すれば、“質実剛健な西洋料理”と評するのがもっとも当を得ている。


不要なデコレートや捏ね繰り回したようなソースもなく、いたってシンプル、スマートな料理なのである。

その典型がコンソメスープである。さらりと淡白で、西洋おすましのようなスープであったと家内の言。

11・コンソメ
コンソメ

そして、わたしのオニオングラタンスープは器の蓋を開けてビックリ。なんとハート型をしている。

12・オニオングラタンスープ
ハートです

今年、65歳を迎え、めでたく高齢者の仲間入りを果たした男の目の前に、まぁ、かわいらしいハートのカップが置かれたわけである。


家内もこれにはただ微笑む、いや、憐みの笑みを浮かべるしかリアクションのとりようはなかったようである。


もちろん、お味は質実剛健、玉ねぎ大好きな私好みのこってりした、農作業の後にでも呑むとさらに味が際立つといった体のスープであった。

13・食器に刻印された金谷ホテルのベルトのロゴマーク

そして、エッと驚いたのがそのカップの蓋の裏に刻印されたロゴである。聞けば、金谷ホテルでは古い食器をたくさん今でも使用しているということで、この陶器もそのひとつなのだそうだ。こうした貴重な出会いが古い格式を誇るホテルにはあるのだと改めて感じたところである。


いよいよ、メイン。伝統のフランス料理、 “虹鱒のソテー金谷風”の登場である。

14・日光虹鱒のソテー 金谷風
日光虹鱒のソテー 金谷風

見た目がしっかりとしたソテーである。結構な大きさの虹鱒である。

これ全部、食せるかと心配しながらソースをかけ、ナイフを入れる。


やわらかい!! 骨もすんなり切れてしまう。口に運ぶ。骨がまったく気にならない。

おいしい・・・。いや、お見事。


ソースもどことなく田舎風で、これ良い意味で言っているのだが、濃い目の味付けなのだが、口に残らぬあっさり味。矛盾しているようだが、それが虹鱒を食べおわってみての素直な感覚なのである。


さて、食事についてはそれくらいにして、ダイニングルームの造作もなかなかにわたし好みでありました。


入口を入ってすぐ右手には年代物と思しきレリーフなどが壁を埋めていた。さらに天井はなんと部屋の最高の格式を表わす折り上げ格天井(ごうてんじょう)で、しかもその一枚、一枚に図柄が描かれている。

16・折り上げ格天井と柱頭彫刻

柱にも頭に彫刻がほどこされ、その贅をつくした造りに、明治初期の日本人が西洋に負けまい侮られまいとした生真面目さが窺えて、いじらしさすら感じてしまう。


そんな金谷ホテルのディナーも終了、部屋へ戻り、翌日の東照宮参詣にそなえ、早々と床に就いた。

17・別館の客室
新緑が手に届く部屋でした

したがって、本館一階にあるクラシックバーには、家内の「寄らなくていいの?」という悪魔の囁きを物ともせずに別館を一目散に目指したところである。


翌朝、朝食をダイニングルームの朝陽が差し込む窓際でとった。

18・朝陽が差し込むテラス風の席で朝食を

これも今風のビュッフェ方式ではなく、スタッフによるオールサーブのアメリカンブレックファーストである。

わたしは目玉焼き、もとい、sunnyside up・・・、いや、over easyというのかこれはと久しぶりに英単語を探り出す自分にひとり苦笑い。

卵焼き overeasy

本式に焼かれた目玉焼きである。頼めば本物のsunny side up(片面焼き)が口にできたのだろうと思った。


家内はシンプルにプレーンオムレツで苦労もなしといったところ。

20・ふわふわプレーン・オムレツ

朝陽が零れ落ちるテーブルでオールサーブでのブレックファースト。少なくなりました・・・こんな朝食の時間。


効率性追求、コストダウン、人手不足などなど、今の時代、確実に昔の豊かさは失われていっていると実感したところであった。


ゆっくり朝食を摂ったあと、金谷ホテル探索の散策に挑む。まず、家内が目をつけたのが竜宮と称する観覧亭と展望閣。

21・展望閣より観覧亭を見る
展望閣から観覧亭を見る

本館三階の北側廊下を東方向にずっと奥へ進む。途中に本館のもっとも古い部屋であるナンバーがシングルの部屋が覗けた。う〜ん、さすがの格天井である。

22・本館のシングルナンバーの部屋
格式あるシングルナンバールーム

それを過ぎてさらにゆくと最後に石段を上がる。そして屋上のような場所へ出る。

そこに日光の山並みを眺望する展望閣やプールや天然のスケートリンクで遊ぶ人々を見物する観覧亭がある。

23・観覧亭の方から展望閣を
観覧亭から展望閣を見る

現在はもう使用を中止しているということだった。ただ、リンクになる池?にはアオコが一面に発生し、黄緑色に水面が映えていた。

24・プールとスケートリンク
右がプール 奥が天然スケートリンク

また、プールには水が張られ、それがきれいであったのが、往年の夏の金谷ホテルの賑わいが耳朶の奥に響き出すようで奇妙な感覚にとらわれた。

25・展望閣からの眺望
展望閣からの眺望

そのあと、ホテルの裏庭へ出て神橋へ向かおうとしたが、生憎の工事中、途中で引き返した。


庭には木のベンチなどがおかれ、かつてはそこで団欒に耽る西洋人たちがいたのだろう。

26・裏庭
裏庭

ここからの本館の景色も新緑の中に白色と赤色がうまい具合にとけこみ美しい。

27・裏庭より本館を

一方で、別館の和風の建物はどこか寺院を見るようで、日本の伝統、格式を感じさせ、これも興趣が尽きない。

28・裏庭より別館を

一時間余の散策であったが、日光金谷ホテル、ただ、泊まって、食べて、出かけるだけではもったいない。

まさに本物のリゾートホテルである。ここでのアンニュイな時間の流れこそが一番のお宝なのだと思った。

29・レセプション
伝統を感じさせるレセプション

そして、昔の日本人は真に本物を追求し、生真面目にその達成に努力と犠牲を惜しまなかったのだと思い知らされた。そんな価値ある時間をこの日光金谷ホテルはわたしに与えてくれたのである。一度、訪れる意味は大きいと自信をもってお勧めできる“泊まってみたい宿”である。



道草遍路(87番長尾寺) 静御前の終焉の地、静薬師庵

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香川県木田郡三木町井戸

 

お遍路第87番札所の長尾寺で初めて知った静御前と讃岐のつながり。ナビにもうまく入らず、納経所で丁寧に教えていただいた道順で鍛冶池傍らに立つ静御前のお墓を探すも、結構、悪戦苦闘。

0・静御前の墓と鍛冶池
鍛冶池のほとりに立つ静御前の墓
道しるべが一切なく、畦道を舗装した車一台通るだけの農道をおそるおそる進んだ先にようやく鍛冶池らしきところへ到達。

1・右手の細道をやってきた
右手の細道を走ってきた 薬師庵より
駐車場へ車を止め、わずかな坂道を上る。そこに静薬師の説明書きがあった。

2・静薬師庵 3・静薬師の説明
薬師庵階段下に説明板
階段の上に小さなお堂が見えた。そこが静薬師庵である。

4・ひっそりと薬師庵
静薬師庵
説明書きによれば、長尾寺で得度し、尼となった静御前(宥心尼)はここにささやかな庵をむすび義経の菩提い、この地で没したとある。

5・静御前伝承
静御前の伝承説明板
そもそも静御前と讃岐の縁であるが、舞の名手であった静御前の母、磯禅師は大内郡入野郷小磯浦、現在の東かがわ市小磯705と番地までわかるほどの豪農、長町庄左衛門とツタの娘として生まれたと詳細な消息が知られている。伝誦とは知りつつも、やはり、番地までが特定さると信憑性が増すから不思議だ。

 

都へのぼった母に舞を教わり都随一と名を挙げた静御前であるが、義経との悲恋ののち親子して母の郷里である讃岐に戻り、世をはかなみ先の長尾寺で二人して得度、剃髪したのだという。

 

そして、静御前が宥心尼(ユウシンニ)、磯禅師が磯禅尼(イソノゼンニ)と名乗った。その断髪の際に切り落とした髪を長尾寺に埋めて供養したのが、あの剃髪塚なのだという。まさに“びっくりポンや!!”のお話なのである。

6・長尾寺・剃髪塚
長尾寺の静御前の剃髪塚
親娘は得度の後、この庵に移り住んだ。そこに侍女の琴路が都からやってきて、三人して義経や鎌倉で殺された静の子の冥福を祈る生活にふけった。

だが、翌年に磯禅尼、その一年後の建久3年(1192年)3月14日には静が24歳という若さでその命を閉じる。

7・静御前墓の五輪塔と鍛冶池
静御前の墓と鍛冶池
それから7日目の夜、後を追うように琴路も鍛冶池に入水して相果てたという伝説が残っているのである。

8・侍女叓路・静御前の子・静御前の墓
左から侍女の琴路、静の子、静御前の墓がならぶ
そうした哀しい伝誦を伝える鍛冶池は、この日、ほとりに咲く白い花を咲かせ、静かな水面には過ぎ去りし800年余の時空を昇華させたに違いない底抜けの蒼穹を美しくも哀しく映しこんでいた。

9・鍛冶池
鍛冶池
湖畔の説明版によると、鍛冶池をめぐる遊歩道は、“四国のみち(四国自然歩道)”の一部をなしていて、諏訪神社から前山ダムまでの約5・5kmの“木漏れ日の道”と名付けられた路ということである。

湖畔の路に立ち、静御前が眺めたであろう景色を目に焼き付けようとした。

10・鍛冶池と白山
遊歩道の左奥に東讃岐富士・白山が見える
北の方角に美しい山容を見せる讃岐富士(白山)が見渡せた。静はこの堤に立ち、あの白山を目にし、東国へ渡るときにいとしい人を想いながら仰ぎ見た富士山を思い起こしていたのかも知れぬと思った。

 

庵のそばには長年の風雪でお顔も定かならぬ数体の石地蔵が口も開かずさびしげにならんでいた。

11・鍛冶池のほとりに地蔵様がならぶ
池のほとり、庵の脇に地蔵様がならぶ
抒情あふれる道草遍路の次は第86番志度寺へと向かう。ここも道草遍路のメッカである。次回ブログをお楽しみに。

道草遍路 四国88ヶ所霊場 第87番札所 補陀落山観音院 長尾寺

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香川県さぬき市長尾西653

87 長尾寺

87 長尾寺
 

87番長尾寺 御朱印
長尾寺御朱印

88番大窪寺から車で30分弱、第87番札所 補陀落山(フダラクサン)観音院 長尾寺へ到着。琴平電鉄・長尾線の終点、長尾駅から徒歩200mの平坦な町中にあって、山深い大窪寺からするとあれも遍路、これも遍路といった感じで、すべてが難所じゃないんだと実感するお寺である。

1・こぢんまりした外観の長尾寺の正面
左側は駐車場
仁王門からの外観はこぢんまりとしたお寺で、たとえて言えば“おらが町”のお寺といった第一印象である。

2・長尾寺
コンパクトな佇まいの長尾寺
その仁王門の前に2mほどの高さの凝灰岩の石柱が二基立っている。経文を埋納する経幢(キョウドウ)というものだそうで、仁王門に向かって右手の経幢が弘安9年(1286年)、鎌倉時代後期のもので高さは253cmと高い。

3・東側経幢 弘安9年
右手の経幢(きょうどう)
向かって左、西側の経幢は高さ200cm、弘安6年(1283年)の建立で、きわめて古い時代のものということでちょっと珍しいので、境内に入る前によく観察されたらよい。

4・西側経幢 弘安6年
左手の経幢
仁王門は威圧感を感じるどころかかわいらしいと表現してよい親近感がもてるもの。

5・仁王門
この仁王門、なんともかわいらしい
そして、門をくぐる真上には吊り梵鐘が下がっている。手が届かないんだけど・・・、どうやって衝くんだい・・・・・・いやはや不思議感を催させて面白い。

6・仁王門 補陀落山の変額と梵鐘
頭上の梵鐘
仁王門をくぐるとすぐ右手に大きな楠が立っている。

0・長尾寺の大楠
こんなに大きいんです、この櫲樟(くすのき) 本堂から仁王門を
その陰を落とす石畳の参道の先にはエッというほどの境内が東西に開け、ここでまた意外感を演出。何だか、お遍路寺というよりサプライズを楽しませる趣を有すとても開放的で気分の良いお寺なのである。

7・長尾寺 左より護摩堂・本堂・大師堂
左から護摩堂・本堂・大師堂
本堂でまずお参り。もちろん、般若心経と光明真言“おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどまじんばらはらばりたやうん”を三度、唱える。

8・長尾寺・本堂
近寄ると迫力がある本堂
次に本堂の東側、右手にある大師堂へ。

9・大師堂斜めより
本堂前から大師堂
大師堂のさらに右手に薬師堂と東門がある。

10・薬師堂と東門
境内東側に薬師堂と東門
そこで踵を返して本堂の前を過ぎ、護摩堂へ参拝。

11・護摩堂
本堂前から護摩堂
この護摩堂の左手前に妙なパネルが見えた。近づくと、何やら平安装束の女子の体裁。

12・静御前パネル
ややっ・・・何者じゃ?
目を凝らすと、静御前の剃髪塚との説明版が目に入る。小高く盛ったところに苔むした石塔がたっていた。

13・静御前剃髪塚
なんとあの静御前の剃髪塚とや・・・はてはて?
義経と別れ、鎌倉へと移送された静御前が、頼朝の前で“しずやしず しずのおだまき 繰り返し むかしを今に なすよしもがな”と詠いながら哀しく舞った逸話は有名であるが、その後、この讃岐に来ていたことはあまり知られていない。

14・興亜地蔵尊像と静御前剃髪塚
興亜地蔵尊と静御前の剃髪塚
わたしはもちろん、讃岐出身の家内もまったく知らなかった。

そして・・・なんと、あの静御前がこの、この長尾寺で得度して尼となり、その際の断髪した髪をここに埋めたのだという。長尾寺の片隅に都中に美しい舞の名手として名をとどろかせた白拍子、静御前のぬばたまの黒髪がここに埋まっている・・・ロマンである。

15・天神宮正面
境内西南隅に天神宮
仁王門のかわいらしさ、吊り梵鐘のサプライズ、狭い門から入って一挙に広がる境内の解放感など意外感満載の長尾寺であったが、この剃髪塚、これは、ほんとにびっくりポンな出来事であった。

 

寄り道遍路第一弾の静御前・薬師庵は次回ブログにてご案内。そこはとても美しく抒情あふれるところでしたね。

道草遍路 四国88ヶ所霊場 第88番札所 医王山遍照光院 大窪寺

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じます)

香川県霊場マップ(88〜66番)

第88番 大窪寺 香川県さぬき市多和兼割96番地

大窪寺 御朱印

新緑の葉叢に漉され青味がかった線条の光が驟雨のように零れ落ちるなか、女体山(標高774m)の中腹に伽藍する四国霊場・第八十八番札所・医王山遍照光院大窪寺に到着した。

後背にそびえる女体山と大窪寺
第88番札所 大窪寺
高松市内から車で50分ほどの距離だが、途中から山間の街道を縫い山腹をめぐるように勾配をつくる自動車道を登攀する。

大窪寺へ 山肌をめぐる自動車道
ひんやりとした山気の気配を感じるころ数軒の土産物屋風の建屋が見えてくる。二天門前のいたってこぢんまりとした門前町である。

二天門前の門前町
門前町
その一軒の駐車場に車を止めた。門前で納経帳を買い求め、二天門からいよいよ遍路のはじまりである。

本来であればこの大窪寺で八十八ケ所霊場巡りはめでたく結願(ケチガン)を迎えるが、逆打ち(サカウチ・ギャクウチ)はここが遥か遍路の第一歩ということになる。

88番結願所を刻む石標
二天門前の石段・右手に結願所と刻む石標
“八十八番結願所”を刻む石標の建つ石段から楓の若葉がおおいかぶるところに二天門(山門)が見える。

5・大窪寺・二天門
二天門
二天門を潜ったところに遍路の本願成就を謝したのだろう奉納された二足の大草鞋が立つ。

6・境内より二天門
大草鞋が山門両脇に
山門から一直線に10段ほどの石段を二つそなえた石畳がつづくが、その先に後背に女体山をかかえた本堂礼堂と多宝塔(本堂奥殿)の相輪が見通せる。

7・二天門から本堂を
二天門から本堂へはすぐに到達。

8・女体山と本堂
実は、順打ち遍路の最後のお寺ということで、極めつけの修行の道になっているのかと覚悟していたが、本堂を前にしてホッとした。さすがお大師様であると妙な感心、いや、感謝した次第である。

9・大窪寺・本堂
納経所から本堂を見る
線香の煙が立ちこめた本堂で般若心経を唱え、お参りする。まだまだ新米のお遍路さんゆえ読経の声もボソボソと気恥ずかしい。遍路の最後のころにはこの声も変わってくるのだろうかと心をかすめるほどに集中力を欠いた念仏である。

10・お香のこもる本堂内
本堂内
本堂の右手に阿弥陀堂が建つが、現在は工事中で柵が設けられており、参拝は叶わなかった。

11・阿弥陀堂
本堂から阿弥陀堂を見る
そして本堂を背に斜め右手にある納経所で御朱印をいただく。ここで順打ちの遍路は結願証明書をいただくことができる。

12・結願証明書を渡す納経所
この納経所を夢に見た遍路は数多あった・・・
八十八番札所の大窪寺のみで発行されるということなので、逆打ちの場合はここに再度お礼参りを兼ねて証明書をいただきにあがるのだろうが、さてさて、いつ頃、ここに再来できるのか。

 

遍路の途中で客死なんてことになればそれも叶わぬ夢かなどとつまらぬ想念も胸をよぎる。そんな弱気を振り払うようにして、次に大師堂へ向かう。

13・大師堂へ向かう
この坂の先に大師堂
大師堂の手前になぜか“原爆の火”が灯されていた。鎮魂の意味であるからこれもありかと納得。

14・大師堂横に原爆の火
広島の原爆の火
その向こう側に遍路で使用した金剛杖を納めた“寶杖堂”がある。これも結願所ならではのお堂である。

15・寶杖堂
ガラス内にたくさんの金剛杖
そのすぐ横に大師堂がある。参拝する正面の間口は広くはないが、奥行きは長い平屋建てである。

16・大師堂
大師堂
大師堂の奥横にりっぱな大師像が立っている。弘法大師が入定(835年)してから千百五十年を記念して建立されたと記されている。ただ、ここまでやってきて参拝する人はあまり多くないように見えた。

17・大師堂と大師像
ここで一応、奥之院をのぞき大窪寺を一周したことになる。

元来た道を二天門の方へ戻るが、その途中で大きな仁王門を見下ろせる。

18・仁王門
仁王門
仁王門は堂々とした造りではあるが、平成二年に完成したまだ新しい鉄筋造りの門である。

19・二天門から門前を見下ろす
二天門から
その時はそのことも知らぬ身であったが、見たところ近代的で有難みに欠けると感じたので、趣のある二天門を再度潜って大窪寺をあとにしたいと思ったのである。

 

次は逆打ち遍路の二番目となる八十七番霊場の長尾寺を目指すことになる。


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